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Yukibou's Hideout on Hatena

自分用備忘録的な何か。

かつて、サッカー日本代表がW杯アジア一次予選ですら勝てない時代がありまして。

ハリルホジッチジャパン、驚きのメンバー発表。

ハリルホジッチ率いる日本代表の初戦、チュニジア戦がいよいよ間近に迫り、新監督の下での最初のメンバーが発表された。

なんと、バックアップメンバーを含めて総勢31+12人を招集するという前代未聞のやり方だった。

zasshi.news.yahoo.co.jp

【GK】
川島永嗣スタンダール・リエージュ
東口順昭ガンバ大阪
西川周作浦和レッズ
権田修一FC東京

【DF】
酒井宏樹ハノーファー96
酒井高徳VfBシュツットガルト
内田篤人FCシャルケ04
吉田麻也サウサンプトン
水本裕貴サンフレッチェ広島
昌子源鹿島アントラーズ
森重真人FC東京
槙野智章浦和レッズ
太田宏介FC東京
長友佑都インテル・ミラノ
藤春 廣輝(ガンバ大阪

【MF】
長谷部誠(フランクフルト)
柴崎岳鹿島アントラーズ
今野泰幸ガンバ大阪
青山敏弘サンフレッチェ広島
山口蛍(セレッソ大阪
香川真司ボルシア・ドルトムント
清武弘嗣ハノーファー96

【FW】
本田圭佑ACミラン
永井謙佑名古屋グランパス
小林悠川崎フロンターレ
岡崎慎司(1.FSVマインツ
大迫勇也1.FCケルン
興梠慎三浦和レッズ
乾貴士(フランクフルト)
武藤嘉紀FC東京
宇佐美貴史ガンバ大阪

■バックアップメンバー

【GK】
林彰洋サガン鳥栖

【DF】
塩谷司サンフレッチェ広島
鈴木大輔柏レイソル
千葉和彦サンフレッチェ広島
車屋紳太郎(川崎フロンターレ

【MF】
谷口彰悟川崎フロンターレ
米本拓司FC東京
大森晃太郎ガンバ大阪
高萩洋次郎(ウェスタン・シドニー

【FW】
柿谷曜一朗FCバーゼル1893
川又 堅碁(名古屋グランパス
豊田陽平サガン鳥栖

長友、内田、今野は負傷中なのだがお構いなし。おまけに、柿谷や高萩などは、海外でプレーしていてもバックアップメンバーにまわしてみたりと、今までのどの歴代監督とも違う招集方法なだけに、驚きを禁じ得ない。日本サッカー協会の霜田技術委員長が「監督の色が出る」と言っていたのはこのことだったのだろうか。

おそらく、W杯予選まで時間がないということで、呼べるだけの選手を呼んで、自分のメソッドを一刻も早く、沢山の選手に浸透させたいとの狙いがあるのだろう。ということは、少数精鋭で戦う気はないという監督のW杯予選に向けた想いも透けて見える。

それに加えて、これまで日本代表の心臓だった遠藤は呼ばれなかった。ハリルホジッチ自らが、記者会見で遠藤のこれまでの貢献に感謝しているとわざわざ言及している事を考えると、ひょっとしたらもう呼ばないという宣言だったのかもしれない。

とにもかくにも、これだけ大所帯のメンバー発表になると、どんなフォーメーションを組んで戦うのか、想像するのも難しい。普通に人数バランスを考えたら4-3-3あたりに落ち着く気もするが、ここは、おとなしく初戦のチュニジア戦を待つ事にしよう。

 

日本代表は弱くなった? 

ところで、最近日本代表が苦戦したり負けたりすると、会社なんかで普段あまりサッカーを見ない人から、よく耳にする言葉がある。

 

「今の日本代表は昔に比べて弱くなったね」

 

Jリーグは創設されて20年以上が経過し、全試合満員とはいかないまでも、そこそこの観客動員数を叩き出すようになり、TVで放映されるピッチは、ほぼいつみても鮮やかな緑色が保たれている。

日本代表の試合は毎回チケットが完売で、殆ど当日券は出ない状態になっている。海外リーグで活躍する選手も格段に増え、もはや海外でプレーしているからといって必ず代表に呼ばれるような状況ではなくなっている。

フランスW杯初出場からは17年が経とうとしている。アジア枠が増えたこともあり、日本代表がW杯に出場することは、もはや当たり前になった。昨年のブラジルW杯で一分け二敗に終われば「惨敗」といわれ、年明け早々に開催されたアジアカップではベスト8でUAEに連覇を阻まれ「アジアですら勝てなくなった日本」と、散々叩かれた。

 

だが、ご存知だろうか。かつて、日本代表がW杯の一次予選すら勝ち進めなかった時代があったことを。

 

世界に最も近づいた日

1985年10月26日。メキシコW杯アジア最終予選は、今とはずいぶんレギュレーションが違って、韓国とのホームアンドアウェーの一騎打ちだった。

国立競技場でのホームゲームは、木村和司の「伝説のFK」が決まったことで有名な試合ではあるが、1-2で負けている。大事なことだからもう一度言うが、負けているのである。続くアウェーでも敗れ、結果的には完敗だったのだが、長い間「世界に最も近づいた日」と言われ語り継がれた。繰り返すが、二試合とも負けているのに、である。

そういう時代だったのだ。W杯に出ることが唯一にして最大の目標であり、まだ夢のまた夢だった時代、W杯最終予選というものは、ある種の到達点のようなものだった。本当の目標はその先にあるというのに。

NHKの山本アナが中継の冒頭で「東京千駄ヶ谷の国立競技場の曇り空の向こうに、メキシコの青い空が近づいてきているような気がします」という有名なセリフを残しているが、このセリフこそが「最終予選に辿り着いた達成感」をある意味表しているとも言えるだろう。


【日本代表】木村和司 伝説のフリーキック - YouTube

 

「赤」の日本サッカー暗黒時代

その四年後の1989年5月。イタリアW杯を目指すアジア一次予選が始まり、日本は北朝鮮、香港、インドネシアと同組になった。各組1位のみが最終予選に進めるレギュレーションで、当然最大のライバルは北朝鮮だった。

監督は元日本代表GKの横山謙三である。三菱時代に国内三冠を成し遂げるなど、日本リーグでは名将扱いだった。だが、全日本(当時は日本代表とは呼ばれていなかった)の監督としては、残念ながら最悪の部類に入るといってしまってもいい結果しか残せなかった。

横山謙三の就任と同時に、全日本のユニフォームは赤に変更された。日本のナショナルカラーが赤だからという理由だった。

出だしの香港、インドネシア相手にスコアレスドローと、いきなりスタートダッシュに失敗し、大一番の北朝鮮戦に臨んだが、ホームであるはずの国立競技場には、在日朝鮮人の方が日本人よりも数多く駆けつけるという情けない有り様であった。

試合は2-1で日本が逆転勝利したものの、残念ながらこの勝利を見届けた日本人はほんの一部だった。国立競技場に駆けつけた人以外は、殆ど見ることが出来なかったのだ。そう、地上波でのTV放映がなかったのである。

この一次予選、ホームでのインドネシア戦は大勝したものの、その会場は国立競技場や神戸ユニバではなく、西が丘サッカー場(当時の収容人数は9000人程度)だった。だが、驚くべきことにそれでも満員にならなかった(公式発表は9000人ぴったりだが)。

端的に言ってしまえば、サッカーの人気が無かったのである。4年後のプロリーグ発足はすでに発表されていた。にもかかわらず、地上波での生中継はなく、衛星放送でかろうじて放映されたのみだったのだ。

その後、神戸で行われた香港戦はまたもスコアレスドローにおわり、結局、アウェーの北朝鮮戦を0-2で落とした結果、全日本は一次予選敗退となった。

 

当時の日本サッカーの現実

ちなみに、下記の動画は89年の日本リーグの映像であるが、当時黄金時代を迎えていた日産自動車の試合だけあって、そこそこ客は入っている。


日産サッカーダイジェスト 第25回JSL 15節 日産自動車対古河電工 - YouTube

当時の観客動員数は、3000人などのキリの良い数字が毎回使われていた。普通に考えて、いつもそんなにキリの良い人数が見に来るわけがない。実は、この頃は入場者数のカウントなどしておらず、大体の見た目で数字を決めていたのだ。だが、実際には3000人どころか500人いるかどうかという試合がザラだった。要は水増しである。

芝は茶色で枯れてしまっている。ここに雨が降ったりすると、ドロドロになってとてもサッカーどころではなくなってしまうのだ。これが、Jリーグ開幕まであと4年といった時点での日本サッカーの姿なのだ。

 

真の暗黒時代が教えてくれること

過去を振り返っても仕方の無いことなのかもしれない。

だが、こういう時代があったからこそ、日本サッカーは、ゆっくりであるが確実に前進しているのだ。それは間違いない。一度や二度結果が出なかった程度で「弱くなっている」などと言ってはいけない。本当の暗黒時代は、あの80年代のような状態のことを言うのだ。

 

「今の日本代表は昔に比べて弱くなったね」

そんな、とんでもない!