読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Yukibou's Hideout on Hatena

自分用備忘録的な何か。

日本人はサッカーを、いや、「スポーツ」を楽しんでいるのか。

Jリーグ サッカー 日本代表 ハリルジャパン W杯 雑記
いよいよ迫るハリルジャパン初戦。

ハリルホジッチ率いる新生日本代表の初戦、チュニジア戦が今日の夜にいよいよ行われる。今日はU-22のリオデジャネイロ五輪一次予選のマカオ戦も夕方から行われるので、まさにサッカー三昧のアフター5になりそうだ。

U-22はともかく、ハリルジャパン(どうやらこの略称が定着したようなので、自分もこれで行くことにする)の動向は、毎日テレビのスポーツニュースで伝えられている。今の時期、プロ野球の開幕を控えていたり、選抜高校野球が行われているのに、やはり新監督の初戦というのはメディアでも重要と考えているようで、その報道量には自分も少々驚いている。

チュニジアもあんなテロが起きたばかりのこのタイミングでの来日と、選手もかなり精神的に大変だろうとは思うのだが、よく辞退せずに来てくれたと思う。そこは本当に感謝したいし、犠牲になった人々には心から哀悼の意を表したいと思う。

 

Jリーグ誤審問題に対する英国人の問題提起。

ところで、先日、「フットボールチャンネル」に下記のようなコラムが掲載された。著者は、スカパーのサッカー番組「Foot」などでもお馴染みの、ショーン・キャロル氏である。

www.footballchannel.jp

内容を要約すると

  • Jリーグで誤審が頻発している。
  • Jリーグ側は誤審を分析したり、議論をしない。審判はJリーグに守られている(大久保談)。
  • TVでも問題のシーンは流されたが、特に議論はなかった。
  • Jリーグは開かれた議論を禁止していると言える。
  • Jリーグの権限が届かないSNS等ではファンが活発な議論を交わしている。

といったところだろうか。

正直言って、Jリーグが議論に対してストップをかけているというキャロル氏の主張が正しいのかどうかは、我々ファンの立場では確かめようがないので保留にしておこう。その他の部分に関しては、ぐうの音も出ない。まさにその通りである。

では、なぜキャロル氏が指摘したように、誤審問題について議論が巻き起こらないのかを考えてみよう。

 

TVで「検証」は一応行われていた。

コラム中、キャロル氏はこう述べている。

テレビ番組ではボールがゴールラインを越えていない映像を駒止めして見せたが、その一件についての議論は行わなかった。パトリックのゴールに関する事例も、渡邉の露骨なダイブも映像で流したが、討論はしなかった。

この「テレビ番組」が、どの番組のことを言っているのか、自分にはちょっとわからない。というのも、自分はスカパーで「欧州&Jリーグセット」に加入しているので、ハイライト番組もスカパーでやっている「Jリーグマッチデーハイライト(以下MDH)」しか見ないからだ。

問題のシーンは、MDHでも取り上げられ、討論とはいかないまでも検証は行っている。地上波やBSのサッカー番組でならともかく、スカパーレベルではそれなりに検証はされているのだ。ただ、そのMDHも、現コンサドーレ札幌社長の野々村芳和氏がMCをしていた「Jリーグアフターゲームショー」と比べると、随分クオリティは落ちてしまったが、それでもまだ一定のレベルは保っていると考えている。

 

何故「議論」「討論」に発展しないのか。

長く日本に住んでいるとはいえ、英国人のキャロル氏にしてみれば、「勝敗を左右するような誤審が起きているのに、何故どの媒体でも大きく取り上げられ、議論にならないのか」というのは不思議に思える事なのかもしれない。だが、日本と英国ではサッカー…というより、スポーツそのものの置かれた立場がまるで違うのだ。

日本国民の大部分の人にとって「サッカー」といえば「日本代表の試合」である。

これまで何人も「俺、サッカー好きなんですよ」という人に出会ってきたが、殆どの人は日本代表の試合しか見ていなかった。中には、生放送で試合を見るのではなく、ハイライトで確認する程度の人も結構いた。それでも「サッカーが好き」なのだという。

つまり、そういう人にとっては、日本代表の試合はサッカーの、そしてスポーツの一部として捉えられているというよりも、ある種の「イベント」として人気があるに過ぎないのだ。

「イベント」は議論や討論の対象にならない。焦点となるのは自分が楽しめたかどうかなのだ。たとえば、UAEPK戦の末に負ければ「UAEとかなんだかわからない国に負けた。つまんない」となり、メッシにハットトリックでも決められて負ければ、「メッシ凄かったね〜 楽しかった!」となるのである。

そして、残念ながらJリーグは、ほとんどの日本国民にとっては「イベント」にすらならない。一大イベントである日本代表の試合ですら議論の対象にならないのに、それ以下であるJリーグが国民的な議論になど発展するわけがないのだ。

マッチ・オブ・ザ・デイのような素晴らしいTV番組がある英国と日本とでは、天と地ほどの差があるのである。

 

「本場」と日本のTV放送のレベルの違い。

TV番組といえば、9年前の2006年に新婚旅行でフランスに行ったのだが、その時期はちょうどドイツW杯でフランスが勝ち上がっていて、パリ市内もかなり盛り上がっていた。

ある日、現地では準決勝のドイツ対イタリアが放送されていて、自分がホテルに戻ってきた時はちょうど試合が終わった直後くらいだった。だが、フランスのTVでは、そこからなんと1時間以上にわたって、試合の分析を行っていたのだ。

その番組では、今シーズンからJリーグでも導入されたトラッキングシステム的なものを使って、「ピルロの90分でのパス回数は◯◯回、パス成功率は◯◯%で、これはバラックと比較すると云々…」などと、選手のプレー内容を事細かく掘り下げているのに驚いた。しかも、この試合はフランス代表の試合ではないのに、だ。

日本であれば、試合が終われば監督と選手二人ほどのインタビューをそそくさと終わらせて、ハイライトもそこそこに「それでは皆さんさようなら〜」と、番組を終了しているところだ。これは、視聴率が保たれるのは試合終了時までで、その後数字が急激に落ちてしまうからである。TV局はなるべく視聴率を高く保つために、試合が終了したらなるべく早く番組自体を終わらせたいのだ。

どちらの番組を見ていれば、サッカーに詳しくなるかは、言うまでもないだろう。欧州と日本では、9年前の時点でもこれ程の差があった。

 

メディアのアンバランスさ。

少し古いデータになってしまうが、2013年のスポーツのTV報道量調査で「プロ野球」が4年振りに1位に返り咲いたというものがあった。それまでは3年連続で「サッカー・フットサル」が1位だったというものだ。

だが、この内訳にはトリックがあって、野球は「プロ野球」「MLB」で分かれている。そしてランキング外にはおそらく「高校野球」もあるだろう。つまり、サッカーは「Jリーグ」も「海外リーグ」も「なでしこ」も「フットサル」も一緒になった数字だが、「野球」は細分化されているのである。

ランキングに入っている「プロ野球」と「MLB」を足してみると、結局はダントツで野球が報道量1位になる。これに「高校野球」を加えればさらに差がつくことになるだろう。つまり、日本においては野球の報道量が圧倒的に多いのだ。

これは、日本で最も人気のあるスポーツが野球だからに他ならないのだが、背景にはメディアと野球界の密接な関係や、記事や番組の企画の決定権を持っているポストに就いている人間の年代が大きく関係しているとも言える。

二大プロスポーツの野球とサッカーでさえこれ程の差があるのだ。ましてやその他のスポーツとの報道量のバランスを考えると、正直この国のメディアは「スポーツ」を真面目に伝える気があるのかと思ってしまう。

 

結局は話題性。

そうまでして報道の大量投下をしているにもかかわらず、2014年のペナントレースの平均視聴率は8%弱、日本シリーズでも10%に満たない数字しか出せないのが現実だったりする。

ところが、その前年の2013年の日本シリーズは平均で22.4%と素晴らしい数字を記録している。この年の日本シリーズは巨人と楽天の対決だった。東日本大震災被災地である楽天と、日本最大の球団である巨人の一騎打ち。そして、スーパースターに成長した田中将大投手の存在が話題となり、多くの国民が注目する「イベント」となりえたのだ。 実際問題、普段野球など見ない知人が「感動して泣いた」と言っていたのにはとても驚いた。

だが、結局はイベント効果で視聴率が高かったにすぎないことは、2014年の日本シリーズの数字が証明している。日本で最も人気のあるはずの野球ですらこれなのである。いわんやJリーグをや、である。

 

日本に本当の「スポーツ」は根付くのか。

多くの日本人にとって、例えば日本代表の試合やW杯は「消費すべき娯楽」であって、スポーツではない。簡単に言ってしまえば「お祭り」なのだ。

だから、普段はサッカーになど全く興味が無いのに、W杯の時期になると試合を見るためにスポーツバーに行き、プレースタイルは当然ながら、ともすれば名前もよくわからない選手のプレーに一喜一憂するのだ。プレーのレベルにではなく、「シュートが外れた、決まった」という「見れば分かる結果」に。

これは、サッカーに限った話ではない。テニスの錦織だろうが、フィギュアの羽生結弦だろうが、同じ「日本人が活躍するのを見るお祭り」だ。基本的にはみんなこれなのである。

 

1978年、ユネスコは「体育及びスポーツに関する国際憲章」を採択した。

曰く、「スポーツの実践は全ての人間の基本的人権であり、国家は国民のスポーツに対する要求に社会的責任を負う」というものである。だが、いまの日本のスポーツを巡る状況を鑑みる限り、このユネスコの国際憲章が掲げる社会に日本がたどり着くには、まだまだ何十年もかかるだろう。

というよりも、本当にそんな社会がこの国にやってくるのだろうか。

ハリルホジッチ率いる新生日本代表の試合を間近に控えて、ふとそんなことを考えてしまった。