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レトロゲーム回顧録その20 ドラゴンクエストIV 導かれし者たち

ドラゴンクエストIV 導かれし者たち(以下ドラクエIV)」は、珍しく発売日に買うことが出来たドラクエということで、自分の中では特別な印象がある。

ドラゴンクエストIV

ドラゴンクエストIV

 

 

ドラクエは、前作のIIIで社会現象を巻き起こし、ドラクエIVの発売に関しても、マスコミ等から大きな注目を浴びていた。

今作から休日に発売されることになり、子供も気兼ねなく行列を作っていた。テレビではその様子が生中継されていて、自分も朝からそんな光景をテレビで見ていた。

自分も当然予約してはいたが、いかんせん田舎のおもちゃ屋である。店主のおばちゃんは「発売日にどのくらい入荷するのかはわからないねぇ」と語っていた。ちなみに、今回の予約ノートの順番は2ページ目。ドラクエIIIの13ページ目からすれば、大きなアドバンテージだ。

午後になって友達の家に遊びに行ったのだが、「ダメ元でおもちゃ屋に行ってみようぜ」ということになり、ソフトを予約しておいたおもちゃ屋に赴き、おばちゃんに「ドラクエある?」と聞いてみると「三本だけあるよ」とのお返事。万が一のことを考えて持ってきておいたお小遣いをはたいて、めでたく発売日にゲットできたのである。

 

ドラクエIVは、シリーズでも屈指の新機軸満載のタイトルだった。

まず、IIIまでは「ロト三部作」ということでストーリー上のつながりがあったが、このIV〜VIまでは新たな「天空シリーズ」として再出発している。だが、この三部作にはストーリー上の大きな繋がりはない。一応、なんとなくつながっていそうな雰囲気をVIで醸しだしてはいるが、あれは殆どファンサービスの粋を出ないレベルなので、この三部作はほぼ別作品と解釈していいと思う。

一応、シリーズが変わるのに合わせてオープニングのイントロが変更されている。電源を入れて最初に驚いたのがこの変更だった。


ドラゴンクエスト4 序曲 Overture FC・PS・オーケストラ音源比較 - YouTube

 

ストーリー構成で新しい試みは、シリーズ初にして唯一のオムニバス形式のストーリーを採用している点だ。

第一章の主人公は王宮戦士ライアン一人。

第二章ではアリーナ、クリフト、ブライの三人になり、ここまではドラクエI〜IIまでの流れを再体験するようなチュートリアルを担っている。

第三章は再び商人トルネコ一人になるが、ダンジョンでの新しい仕掛けや、ただ戦うだけでない本物のお使いゲーム性を見せてくれる。

第四章はマーニャ、ミネア姉妹が悲壮な決意のもとに、暴君キングレオへの絶望的な戦いを挑むドラマチックなストーリーが展開される。この四つの前日談を経て、晴れて本作の主人公である勇者が第五章で登場するのだ。

 

このオムニバス形式の利点は、数多くの主人公の人となりを、本番の第五章までにユーザーに自然に覚えてもらうことが出来るという点だ。

いきなり7人もの仲間がいたのでは何がなんだか分からないし、行く先々で出会うにしても、ひとりひとりの過去を説明するイベントを作っていたのでは、ファミコンでは容量が足りなくなってしまう。

なので、第五章のチュートリアル的な意味として、第四章までの流れが必要だったのだ。ついでに言うと、マップの再利用もできるので容量の節約にもなる。

 

そして、ドラクエIV最大の特徴が、世の小学生がクリフトやブライの馬鹿さ加減生真面目さに嘆いたであろうAI戦闘だ。

ドラクエの仲間は第五章になると自分の意志で動く。プレーヤーが介入できるのは、AIが行動する為のある程度の指針「作戦」だけだ。

触れ込みでは「戦えば戦うほどAIは賢くなって強くなっていく」という話だったが、どう見てもそうは思えなかった。

特にクリフトはザラキを、ブライはメダパニを連発する傾向があり、あろうことかラスボスにまで「とりあえず使ってみたわ」的な勢いで、効くはずのない呪文を唱えてみたりするのには、小学生の自分も閉口した。

後のシリーズでは「めいれいさせろ」というマニュアル戦闘が導入されている上に、リメイク版では「めいれいさせろ」がデフォルトになっているところをみると、AIのみの戦闘というのは無理があったということだろう。あるいは、ドラクエの「仲間」は、ただのコンパニオンキャラクターではなく、プレーヤーの分身なのだという事を、堀井雄二が定義したのかもしれない。いや、それは大げさな考えか。

 

そしてもう一つ、ドラクエIVが他のシリーズと違う点がある。それは倒すべき敵である魔族の王、デスピサロの描かれ方だ。

たいていのドラクエのボスたちは、途中で名前は出てくるが、姿を表すのは最後の最後である。だが、デスピサロの名前は第一章からチラホラ聞こえてくる。第五章に入ると本格的に勇者たちの冒険に介入を始めるのだが、「ロザリーヒル」という小さな村では、デスピサロがいかにして人間を憎むようになったのかという理由を垣間見ることが出来る。

 

これは、「ドラクエは勧善懲悪の、勇者が世界を滅ぼす魔王を倒す物語である」と信じて疑わなかった小学生の自分にとって衝撃的だった。

打ち倒すべき魔王が悲しい過去を背負っており、しかも人間を絶滅させるという、デスピサロの目的の最終的な引き金を引いたのは、他ならぬ人間であるというシナリオには思わず唸ったし、最後に「私にはもう何も思い出せぬ。だが、何をすべきかはわかっている。お前たち人間を根絶やしにしてくれるわ!」と言われた時には、心に痛みが走り、このままデスピサロを倒してしまっていいのだろうかと躊躇したほどだった。

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聞く所によると、当初はデスピサロではなくロザリーヒル事件の黒幕、エビルプリーストがラスボスになる予定だったらしい。だが、容量の都合上削らざるを得なかったとのこと。だが、自分はこれで良かったのだと思っている。

リメイク版では当初の構想通り、エビルプリーストをラスボスにした第六章が追加されているが、個人的にはデスピサロは救いのない最後を迎える悲劇の魔王である方が、物語に深みが出ると考えているし、そうでなければ小学生時代の自分が「全ての存在に自分を正当化するに足る理由(口実)がある」という価値観を学ぶことは出来なかった。

そう、ドラクエIVは自分の人格形成にも大きな影響を与えたのだ。

物事を片方からの視点ではなく、複数の視点から見ることが出来なければ、真実を知ることは出来ないということをドラクエIVから教えられた事は、その後の人生に多少なりとも役に立っている。そういう意味では、シナリオを書いた堀井雄二だけでなく、ファミコンの容量不足にも感謝しなければならない。

 

ちなみに、あくまで個人的な意見ではあるが、ドラクエシリーズRPGのトレンドの先頭を突っ走っていたのはこのIVが最後だと思っている。

ドラクエIVが出た後、色々なRPGがオムニバス形式のシナリオを採用し、より賢いAI戦闘をウリにしたりした。要は、ドラクエIVをパクったにインスパイアされたのである。

だが、舞台をスーパーファミコン(以下SFC)に移したドラクエVリリース時の1992年には、すでにスクウェアの「ファイナルファンタジーIV(以下FFIV)」が衝撃的なデビューを飾ったあとで、ドラクエVが業界に衝撃をもたらすような新機軸を引っさげてくることはなかった。むしろ、FFIVの凄さが業界を席巻しており、SFCでリリースされるRPGは、FFタイプのシステムに傾いて行くことになる。

 

知名度、売上ではいまだRPG業界のトップをひた走るドラクエではあったが、V以降は革新性という点においては、追われるものから追うものへと変わっていた。そして、その産みの苦しみは、開発期間の長期化というドラクエの新たな問題を生み、やがて32ビットハードウェア戦争へと巻き込まれていくことになるのだった。