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自分用備忘録的な何か。

あの頃、駄菓子屋に500円持ってったら、王様になれた。

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そろばん塾とともに始まった駄菓子屋通い。

小学校2年になった時、母から習い事をするように言われた。

あの頃の習い事といえば、書道とそろばんの二大巨頭が幅を利かせており、自分もどちらかを選ぶように迫られた。自分は、絵を書くのは得意だったが、字を書くのは最高に苦手で、それは今でも変わらない。さらに、習字は墨で手が汚れたりするのが嫌だったりしたので、あまり迷わずにそろばんの方を選んだ。

そろばん塾は中学校の隣にあり、ちょうど小学校の帰り道にあったというのも、選んだ理由の一つだ。小学生の頃から面倒くさいのが嫌だった自分は、なるべく楽な道を選んだのだ。

あの頃は週休二日制ではなかったので、土曜日も午前中だけ授業があった。そして、そろばん塾もあった。だが、土曜日のそろばん塾は他の曜日とは違う楽しみがあった。そう、お小遣いが貰えたのだ。その額500円。その500円を握りしめて、そろばん塾からの帰り道にある駄菓子屋に行くのが楽しみで仕方なかった。

 

行きつけの二つの駄菓子屋。

そろばん塾の一番近くにあった駄菓子屋は「ひかりや(漢字だったかもしれない)」という名の駄菓子屋だった。

おじちゃんとおばちゃんが経営しているこじんまりとした駄菓子屋で、店の中に椅子はなく、外のベンチだけがくつろげる場所だった。

子供の頃ビックリマンチョコが大ブームになった時は、入荷するとこぞって皆買いに行き、中身のシールだけを取ってチョコは捨ててしまう奴が殆どだったので、ひかりやのゴミ箱にはビックリマンチョコが大量に捨ててあったのを覚えている。

もう一つの駄菓子屋は「とくせいや」という名前で、ここは正に絵に描いたような駄菓子屋だった。

気難しそうなおばちゃんが一人で店番をしていて、お店の中には、きな粉棒とか、紐付きのアメとか、ヨーグルとか、謎のチューブゼリーとか、アイドルのブロマイドとか、メンコとか、とにかく駄菓子屋と聞いて連想するもの全てがとくせいやにはあった。

店の中には貧相なテーブルと丸いすが置いてあって、そこで買ったものを食べることが出来たので、いつも店の中には子供があふれていた。

駄菓子なので、商品の単価も10円とか20円とかだったし、高くても50円のミニカップ麺とか、60円のパレードとかいうジュース(蓋に当たり付きのクジがある)程度で、週末のお小遣いの500円を持っていけば、何でも買える様な錯覚すら抱いた。正に、王様気分だった。

 

生まれ故郷を離れ、駄菓子屋からも離れていった。

小学校を卒業すると同時に、そろばん塾も辞めた。中学生になれば部活動をしなければならないという理由で、自分から「両立は無理」と母に言ったのだ。だが、今にして思えば、総合初段になったし、ある種の達成感を感じていたからというのと、やはり塾は面倒臭いという思いがあったからだと思う。

中学生になると、色々と別の遊びを覚えることになる。具体的に言えば、ゲームコーナー(田舎だからゲーセンはない)に通って、アーケードゲームを遊ぶようになったのだ。

お小遣いも月3000円に増えた。だが、ゲームは1回100円である。かつて駄菓子屋で感じたような、何でも買えるような高揚感はそこにはなかった。大事に使わなければ、すぐにこんな端金は無くなってしまう…そういう思いのほうが強く、1回1回のプレイに全身全霊を注ぎ込んだ気がする。

そんな感じだから、もうひかりややとくせいやで駄菓子につぎ込むお金は無くなっていた。当然ながら、自然と駄菓子屋からも足が遠のいた。

高校は、生まれ故郷から電車で1時間ちょっとの町の高校に進学した上、母と二人でその町に引っ越したので、もう駄菓子屋にはまるで行く機会がなくなり、自分の脳裏からも、二つの駄菓子屋の存在は消え去っていた。

高校を卒業し、大学へ行き、東京で就職して、そして地元へ帰ってきた時には、もう実家自体も、家の建て替えてついでに別の町へと引っ越しをしていた。というわけで、生まれ育った町からは完全に縁が切れてしまった。

今住んでいる町にも、駄菓子屋がないわけではない。だが、そこは「駄菓子屋であることをウリにする駄菓子屋」であって、本当の駄菓子屋さんではないのだ。一度行ってみたことがあるが、どうも「造られた感」があって、馴染めなかった。ただ、自分が大人になってしまっただけなのかもしれないが。

あの頃、500円で見ることの出来た「王様の風景」は、もうどこにもないんだなと、すこし寂しくなった。