Yukibou's Hideout on Hatena

自分用備忘録的な何か。

お盆なので、じいちゃんの思い出を語る。

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お墓がなかった我が家。

ウチには、長いことお墓がなかった。何故かと言うと、入る人がいなかったからだ。

ウチの祖父は、本家の次男だった。だが、長男が戦争で亡くなってしまったので、本来なら祖父が家を継がなければならなかった。でも、祖父はそうしなかった。祖母を連れて家を出て、遠い場所に自分の家を構えてしまったのだ。いわゆる、駆け落ちのようなものである。

なので、我が家には「先祖代々の墓」というものがなかった。仏壇もなく、お盆も特になにもすることはなかった。子供の頃、周りの人達がお盆にお墓参りに行っているということすら、実は知らなかった。

 

父親代わりだったじいちゃん。

ウチの母は自分が2歳の頃に離婚している。なので、自分は父親の事を何も知らない。正直言うと、名前すら知らない。別に知りたいと思ったこともないんだけど。

そんな自分にとって、祖父は父親代わりだった。とはいえ、特別そういう事を意識したことはない。家族みんなが、自分がそういう風に感じないように、色々と気を使ってくれていたんだろうと思う。

子供の頃の自分にとって、祖父は力持ちで、何でも知っていて、優しくて、時には厳しくて、そして我が家の象徴でもあった。まさに、大黒柱である。

実際に金銭面で我が家の収入を支えていたのは、保険会社に勤めていた母だったのだが、我が家の方針の決定権は祖父にあった。なので、言ってみればウチのボスは祖父だったのだ。少なくとも子供の頃の自分にはそう思えた。

祖父は林業を営んでいた。仕事から帰ってくると、車に積んできた木材を自分で作った小屋にしまいこんでいた。祖父が言うには、いつか新しい家を建てるときに備えて、質のいい木を集めているということだった。結果的に、その二十年後くらいに家を建てた時には、殆ど使える木材はなくて、柱の一部に使われただけだったのだが…

 

車の運転は下手だったじいちゃん。

我が家で車の事故を起こしたことがあるのは、今のところ祖父だけだ。

一度などは、その事故現場に居合わせてしまった。

あれは、小学生の頃。自分はそろばん塾に通っていたのだが、その日は祖父が迎えに来てくれることになっていた。自分は、いつもの様に車の助手席に乗った。そして、警察署の横の細い道に通りかかった時だった。一時停止の標識があったのだが、祖父は止まるのを忘れ、そのまま通過してしまったところで、横から来た車と衝突したのだ。

大した事故ではなかったので、双方怪我などはなかったのだが、子供心に流石に驚いた。しかも、警察署の目の前という最悪のシチュエーションである。

祖父は、自分に「急いで家に連絡しろ」と言って、10円を渡した。自分は、公衆電話まで走って行って家に電話をかけた。子供だったので、こういう時にその後どうなるかなんて想像もつかず、祖父が警察に捕まってしまうのではないかと、今にして思えば微笑ましい勘違いをしてドキドキしていた。

結局、相手の人がその後我が家に来て、なにか話し合いをして解決した。自分は、その時に生まれて初めて「示談」という言葉を知った。

 

入院ばっかりしていたじいちゃん。

我が家で入退院を繰り返していたのも祖父がダントツだった。

まだ3歳くらいの頃、祖父が縁側で突然血を吐いた。結論を言えば、酷い胃潰瘍だったのだが、流石にあれには驚いた。なにしろ、口からドロドロ血が出てきているのである。「じいちゃんが死んじゃう!」と、幼いながらもそう感じた瞬間だった。

祖母が救急車を呼んで、病院に運ばれていった。だが、ウチはかなりの田舎にあったので、入院したのは50キロほど離れたちょっと大きめの町の病院だった。手術をしたのかどうかはよく知らない。だが、とにかく祖父はそれをきっかけにタバコをやめた。後から聞いた話によれば、わかばを一日六箱吸っていたらしい。どう考えても吸い過ぎである。

それから随分経って、胆石で入院したこともあった。だが、あの時は地元の病院に入院して、しかも最初は胆石だということがわからなかった。原因不明の痛みに襲われているということで、長いこと苦しんだ。

その頃の地元の病院には、優秀な医師が殆ど残っておらず、若手の医師ばかりの状態だった。なので、祖父の痛みの原因もわからないと言われてしまっていた。結局、最終的に手術をした時に、初めて胆石だということがわかったのだが、この時の苦しみが、後に重大な選択ミスをもたらすことになる。

 

最後の入院。

2003年。祖父にガンが見つかった。食道ガンだった。

医師からは手術を勧められたが、祖父はなかなか首を縦に振らなかった。胆石の時の苦しみが、祖父の手術に対するイメージを悪くしていたのだ。

結局、放射線治療を試みたのだが、やはり最終的に手術で取るしかないということになり、祖父を説得して手術に踏み切ることになった。だが、放射線でガチガチにかためてしまった腫瘍は、完全には取り切れていなかった。それは、後に別の場所への転移という形で発覚することになる。

そして、2005年に二度目の入院をすることになった。自分は、その時に祖父が言った言葉が、今でも忘れられない。笑顔で「ゆきぼう、じいちゃん、また入院することになったぞ!」と言ったのだ。目を合わせずに。

祖父は、結局その後家に帰ってくることはなかった。

自分でも、そのことはわかっていたのだろう。亡くなってから祖父の部屋を見てみたら、見事に片付けられていたのだ。日記も綺麗に整理されていて、通帳などもわかりやすく一箇所にまとめられていた。

もう二度と家には戻れないことを悟った祖父が、身辺を整理してから入院に臨んだのだった。

結局、我が家で初めてお墓に入ったのは、自ら墓を建てた祖父だった。

それは、いまからちょうど10年前。

我が家のお盆が本当の意味で始まったのも、その年だ。