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自分用備忘録的な何か。

お盆なので、ばあちゃんの思い出も語る。

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怖かったばあちゃん。

子供の頃、自分にとって祖母はいつも自分に厳しくしているというイメージがあった。実際、あまり祖母から褒められた記憶が無い。

それでも、自分はおばあちゃん子だった。

自分が幼い頃に父と離婚した母が、一生懸命働いて一家を支えていたので、専業主婦だった祖母が実質自分の面倒を見ていた。

一応、祖母も畑仕事をしていたが、外に働きに出ていたわけではないので、自分はいつも祖母と一緒にいた。そんなわけで、幼いころは何をするにも祖母と一緒だったのだ。

だが、祖母は結構短気な正確で、自分がなにか余計なことをするとすぐ怒った。時には、縁の下に閉じ込めらたこともあった。だから、自分にとって「ばあちゃんは怖い人」だった。

そのイメージは小学校に入学した後もずっとついて回り、友達になにか馬鹿にされたりすると「ばあちゃんに言うぞ!」と言ってたりもした。ウチのばあちゃんは怖いんだぞ、という事が前提にある台詞なのだが、よく考えたら他人には何の効果もない台詞だった。子供の頃の言動というものは面白いものである。

 

世間知らずだったばあちゃん。

祖母は、家を出て働いたことがない。ずっと専業主婦で家にいたので、世間のルールをわりと知らない人だった。

例えば信号機。自分の正面の信号が青の時ではなく、曲がる方の信号が青であれば行っていいと思っていたのだ。一緒に自転車で出かけた時にそんなことを言っていたので、ちょっと驚いた。

大学を卒業して、東京で働くことになった時、実家に帰ってそのことを告げると、祖母はうろたえていた。なにをそんなにうろたえているのかと思ったら、「東京なんて行くと、フィリピンに売られちまうんだぞ!」と、かなり本気で自分に言ってきた。いつの時代の話をしているのかわからないが、祖母の目は本気だった。

人付き合いがそれ程得意ではない祖母は、近所の人たちとの狭いコミュニティの中だけで生きていた。だから、世間の常識のようなものはあまり身につかなかったのだろう。そういうものが無くても困らない範囲内で生きてきたわけだし、祖父や母が他のことはサポートしてきたため、祖母はそれ以上のことを学ぶ必要がなかったのだ。

我が家における祖母は、祖父と母が働いている間、家を守る役目を担っていたと言ってもいいだろう。その中に、幼いころの自分の面倒を見るというタスクも含まれていたのだ。

 

認知症を患ったばあちゃん。

祖母にはこれといった趣味がなかった。唯一何かをしていたといえば、畑仕事くらいだった。

ある時、国の区画整理にぶつかって立退きしなければならなくなった。で、この際家を建て替えるついでに、母が働いている、50キロ位離れたこの地域では比較的大きな町に引っ越すことになった。

引越し先では、流石に畑を作るほどの土地は確保できず、祖母のやることはなにもなくなってしまった。それに、いわゆる茶飲み友達なども誰も居ないし、祖父はパチンコが好きだったので、家を空けることが多く、祖母は昼間家に一人でボーっとしている事が多くなった。

人間、やることがなくなると気力もなくなっていくもので、みるみるうちに元気がなくなっていった。そして、ついには自分の世話すらできなくなった。いわゆる認知症になってしまったのだ。

それでも、まだ祖父が生きていた頃は良かった。だが、祖父が2005年に亡くなると、余計に認知症がひどくなり、意味不明な行動や言動をするようになってきた。

さらに、その後潰瘍性大腸炎であることが発覚し、一ヶ月ほど病院に入院する。退院してきた頃には、もう殆ど寝たきり状態になってしまっていた。

 

寝たきり状態になったばあちゃん。

寝たきり状態になると、認知症はどんどん進んでいった。もはや、自分が話しかけても誰なのかわからない時もあった。

ずっと寝たきりだったので、酷い床ずれになって、病院でその床ずれになった所を取る処置をしたこともあった。祖母は酷く痛がっていたらしい。自分はその時、すでに結婚してアパートに引っ越してしまっていたので、その場に居合わせていたわけではなかったのだが、聞いているだけで痛そうな話だった。

そんな中、母が軽い脳梗塞になり、一ヶ月ほど病院に入院することになった。そうなると、誰も祖母の面倒を見ることが出来ないので、民間の養護施設的なところに入所させなければならなくなった。

だが、その一ヶ月は祖母への刺激になったらしく、少し認知症の進みも遅くなった。髪の毛の色も真っ白だったのが、結構黒くなっていたりして、やはり他人との交流って大事なんだなと思った。家にいると、ヘルパーさんは来てくれるのだが、基本的に他人とコミュニケーションを取ることはないわけだし、できればずっとこの施設にいさせてあげたかった。

だが、経済的な理由でそれは不可能だった。

母が退院してくると、再び祖母は寝たきりの状態に戻ってしまった。そして、どんどん衰弱していった。あとでわかったのだが、この頃膵ガンを患っていたのだ。

結局、体調が著しく悪くなり、病院に入院することになった。

亡くなる少し前、親戚一同が祖母に会いに来た。医者から「いつ何が起きてもおかしくない」と言われていたためだ。だが、祖母は普通だった。むしろ、その日はいつもより元気で、普通にみんなと話ができていた。

その少し後だった。

突然病院から電話が来て「もう呼吸もしていない。早く病院にきてください」と言われた。その前の日に母が会いに行った時は、元気に会話していたと言っていたのに、いきなり呼吸が止まってしまったらしい。

自分たちが駆けつけると、看護師が心臓マッサージをしているところだった。だが、それも虚しく、祖母は亡くなった。

その日は、祖母の85歳の誕生日だった。

自分はあまりスピリチュアルな話を信じるタイプではないのだが、命日が誕生日になるというのも不思議な話だと思った。

正直いって、自分は祖母に対してなにか孝行的な事をしてあげられたのかと考えると、あまりそういう事は出来ていないと思う。なんだかんだで幼い自分を育ててくれたのは祖母だったのに、もっと色々してあげるべきだったと、今では後悔している。

命日やお盆が来る度に、後悔先に立たずって本当なんだなと、改めて思うのだ。