Yukibou's Hideout on Hatena

自分用備忘録的な何か。

そういえば、本当は漫画家になりたかったんだった。

今週のお題「思い出の先生」

体が弱かった子供時代。

自分は、子供の頃本当に体が弱かった。

まあ、病気療養中で2ヶ月会社を休んでいる今が健康なのかどうかという話はさておいて、たとえば冬の間はすぐ風邪をひいたりしてしまうので、保育園をまるっと休むくらい体が弱かったのだ。

そして、冬になると林業を営んでいた祖父は出稼ぎに出てしまうので不在だった。祖母はご飯やオヤツの世話はしてくれたが、一緒に遊んではくれなかった。親は2歳の頃離婚していて、自分を引き取った母は保険会社で働いていたので、平日の昼間は当然家にはいなかった。必然的に、自分は一人で遊ぶ術を見つけなければならなかった。

今は新聞を取っていないからどうなのかはわからないが、昔は新聞と一緒に来た広告の多くは片面しか印刷されていないものが多かった。自分はいつしか、その裏面の白い方に落書きをし始めた。

その絵を、仕事から帰ってきた母に見せると「ゆきぼう、絵が上手だね〜」と褒めてくれた。今にして思えば、子供が書いた絵を下手くそとなじる親などいるわけがないのだが、幼い自分にはその言葉が嬉しかったらしく、どんどん絵を描いて母に見せた。

毎日毎日絵を描いていると、新聞の広告の裏だけでは紙が足りなくなる。その事を母に告げると、絵を描く為のノートを買ってくれた。100枚綴りのぶっといノートだった。幼い自分は喜んで次から次へと絵を描き続けた。

 

重大な転機「キャプテンうめちゃん」

自分は、そんな絵を書きまくる日々を小学生になっても続けていた。そして、ある時衝撃的な事件が起きる。

小学校に入ってから友だちになった同級生に、うめちゃん(アダ名)がいた。彼は明るくてとても面白く、家も近所だったのでお互いの家に行って遊ぶことも多かった。

ある日、うめちゃんの家に遊びに行っていた時に、うめちゃんが自分のノートを見せてくれた。それは、うめちゃんが描いた漫画だった。タイトルは「キャプテンうめちゃん」

当時、キャプテン翼が大ブームになっていたのだが、そのパクリ漫画だった。だが、自分にとっては衝撃的だった。あれだけ毎日絵を書きまくっていたのに、自分で漫画を描くという発想が自分にはなかったのだ。

その日以来、自分の中での「絵を描く」という行為は、「漫画を描く」という段階へと一つレベルアップした。

絵を描く時も、当時流行っていた漫画の「キン肉マン」とか「キャプテン翼」などの絵を真似て書いていたのだが、漫画を描く時もそういった作品をパクって、主人公を変えたり、ストーリーをちょこっといじったりして、自分の作品っぽくするのがとても楽しかった。

だが、だんだん漫画を描くのに慣れてくると、今度は自分のオリジナルのキャラクターを使って、オリジナルのストーリーを考えて漫画を描きたくなってきた。

最初は鉛筆を使って漫画を描いていたが、そのうちにボールペンを使うようになった。だが、本当の漫画家は何を使って描いているのだろうという興味を持つようになり、「漫画の描き方」的な本を買ってきて読んだりすると、プロの漫画家が使っている道具を使って描きたいと思うようになった。

当時、自分が住んでいた町には文房具屋は2軒しかなかったが、幸いにしてそのお店にも漫画を描く道具は売っていた。つけペンとインクを買ってきて、ちゃんと鉛筆で下書きし、ペン入れをして、本格的な漫画を描くようになった。

そんな事をしているうちに、自分は漠然とだが将来は漫画家になりたいと考えるようになっていた。だから、上手くなるためにどうすればいいか、色々研究しながら漫画を描くようになっていった。

 

絵は描いてればある程度は上手くなる。

余談だが、自分には、「絵は描いてさえいればある程度までは絶対に上手くなる」という持論がある。

自分は、とにかく子供の頃は絵を書きまくった。才能に恵まれていたとは思っていない。本当に才能のある人間は、自分と同じくらいのペース、そして同じだけの年数描いていれば、プロになれるくらい絵が上手くなるだろうからだ。だが、自分はそうではなかった。

友達に自分の書いた漫画を見せると、上手いと褒めてくれたし「プロになれるんじゃないの?」などと言ってくれる人もいたが、自分ではとてもそうは思えなかった。

大学に入学する頃になると、実際自分の才能に限界を感じ始めていた。背景を描くのが激しく苦手だったし、モブシーン(群衆シーン)も描くのも苦手だった。独学だったのでパースの取り方も不自然で、部屋の中に人がいるシーンも描くのも苦手だった。これらの自分の欠点は、いくら描いても改善されなかった。

とはいえ、本気で漫画家になりたかったのなら、例えば誰かのアシスタントになるとかして勉強すれば、恐らくデビューすることくらいは出来たかもしれない。それくらいの画力はあったと自負している。

だが、自分はそこまでの苦労をしてまで漫画家になる覚悟がなかった。好きなことを仕事にして、嫌いになってしまうのが怖かったのだ。

f:id:potatostudio:20150911222242j:plain

※2001年頃にペンタブで書いたイラスト。ユニフォームが時代を感じさせる。当時、女子サッカーを題材にした漫画を描こうと思っていた。まさか、後になでしこがW杯優勝するなんて、その時は夢にも思わなかった。ちなみに、JPEGファイルをそのままアップする度胸は自分には無い。チキンである。

結局、自分は普通の会社員になることを選んだ。漫画はあくまで趣味の段階でやめておいて、漫画を好きでい続けることを選んだのだ。まあ、それは言い訳で、単に漫画で身を立てる度胸が自分になかっただけかもしれないが。

今では、仕事の合間を縫って絵を描くと言う事はなかなか出来なくなった。自分は恐ろしいほどの遅筆なため、まとまった時間が取れないと絵をかけないのだ。子供が産まれて、ますます時間はなくなり、漫画を描くどころではなくなってしまった。

それでも、暇があればたまに漫画のストーリーを考えて、Evernoteに保存したりしている。いつの日か漫画を再び描く日に備えて。

今にして思えば、そんな漫画好きの自分を作り上げたのは、まぎれもなく「キャプテンうめちゃん」だった。うめちゃん自身には全く自覚が無いだろうが、自分の漫画の原点というか、「先生」はうめちゃんであることに間違いないのだ。

うめちゃんとは進学した高校が別になってしまったので、いまでは何をしているのかすら、実は知らない。だが、今でもうめちゃんが漫画を描いていたら見てみたいなぁと思う。

うめちゃん、元気にしてるかなぁ。

まだ漫画描いてるのかなぁ。