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自分用備忘録的な何か。

コンプライアンスを徹底します( ー`дー´)キリッって、馬鹿なの?

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ぼくとのやくそくだよ。

最近、国内外問わず、大企業等の不正問題がかまびすしい。

フォルクスワーゲンのディーゼルエンジン不正ソフト問題。三井不動産レジデンシャル・三井住友建設・旭化成建材のマンション傾斜問題。東洋ゴム工業の防振ゴム性能数値改ざん問題、マイナンバー汚職問題などなど…

こういった事件が起きる度に声高に叫ばれるのが、「コンプライアンスの徹底」だ。

企業のWebサイトを見ると、大抵の場合「コンプライアンス宣言」だとか、「コンプライアンス推進活動」などの内容を見ることができ、いかに自分たちが法令を遵守しているかを主張している。

ホント、馬鹿馬鹿しい。

だって、法令遵守なんて当たり前のことではないか。わざわざ日本を代表するような大企業が、「自分たちは法律とかをちゃんと守って事業を運営していますよ〜」なんて宣言しなければならない方がどうかしている。

そもそも、「コンプライアンス」なんてわかりやすそうでわかりにくい英語に置き換えてしまうのが良くない。こういった用語は、確かに多くの意味を内包しているので使いやすいし、便利だ。それと同時に、なんだか焦点をほやけさせるというか、なんとなく曖昧に誤魔化している気がしてならないのだ。

Webサイトに「私たちはコンプライアンスの徹底に全力を注いでいます!」と書くのと、「私たちは悪いことをしないように全力を注いでいます!」と書くのでは、アホらしさが全然違ってくる。前者だと、なんだかカッコイイことを言っているような気になるし、自分たちの馬鹿っぽさをさらけ出さないで済む。だが、実際には後者の方が正確に、この馬鹿馬鹿しさが伝わる。

特にIT業界でよくある風潮だが、このカタカナ語でなんとなく誤魔化してしまおうというのは、前々から「どうなのかなぁ、これ」と思っていたところである。

 

帳尻合わせの空気。

自分の勤めている会社の親会社は、日本人なら誰でも知っている大企業だ。むしろ、日本人でその社名を知らない人がいたらモグリだと言っていい。最近は、トヨタ生産方式をどうにかして自社に導入できないかにご執心である。

まあ、そんな事はどうでもいい。

数年前、上司の命令により、現場の作業時間を短縮するための取り組みがあった。現場の人間が考えるのではなく、上司が考えた案を現場が実行し、その結果を吟味するという内容だった。

正直言って、現場の人間の視点で言えば明らかに効果の無い施策だった。むしろ手間が増えるだけで、やる前から結果は見えていたのだが、上司の「課長にこの案で行くと言ってしまったので、やるしかない。てか、やれ」という大号令の元、とりあえずダメ元でやってみる事にした。

ちょうどその頃、自分たちも現場の改善活動の一環として、作業時間を計測していた。なので、上司が考えた案が全くの無意味なもので、現場の改善には何の役にもたっていない事が、すぐ判明した。

だが、上司が課長に報告したのは、「事前の予想を上回る、◯◯%の時短に成功した」という内容だったことを後から知った。そう、上司は課長に提出した報告書の数値を改ざんしていたのである。

結局、現場はその上司の考えた「手間がかかるだけで何の意味もない作業」を標準作業として取り入れる羽目になった。いい迷惑である。

前述した通り、ウチの親会社は日本を代表する企業の一つである。だが、それと同時に企業体質が古いことでも知られている。

企業風土というものは、作ろうと思って簡単に作れるものではない。かと言って、一人の社員が動いたところで変えられるものでもない。強固な意思決定のもとに、一丸となって取り組まなければ、一度定着してしまった体質というものはなかなか変えられないのだ。

この件で、自分の上司が現場にもたらしたものは、「この場は自分の体裁さえ守れればそれでいい」という、極めて個人的で利己的で保身しか考えていない人間の尻拭い作業でしか無かった。

そういう事がどんどん積み重なっていくと、気が付かないうちに企業の信頼を揺るがすような重大な事象に繋がってしまうのではないか。

 

腐った体質を変えたかったが、代わりに自分が壊れた。

自分は、そういう「誤魔化し体質」が嫌だった。

だから、改善活動の主導権を自分が握ることになった時、もう数字の誤魔化しなんかやめて、本当に意味のある活動にしようと誓った。

目的はあくまで現場主義。現場で働く人間の手間を増やすことなく、作業の手順を短縮する。その際に、間違いが起こらないように確認項目を設け、それを通過しなければ絶対に作業が完了しない環境を作る。

口で言うのは簡単だが、その道のりは険しかった。そして、その結果もたらされる数字的な利益は、それ程大きなものでは無かった。それでも、現場の人間からは、手間が減るし、間違いが起こる可能性も減るということで、なかなか好評だった。

難色を示したのは、改善活動の事務局だった。もっと大きな成果を欲しがったのだ。だが、この世知辛い世の中、残業も許可されていない状態で、勤務時間の少しの隙だけを使って出来る活動に、あまりにも大きな成果を求めすぎていると自分は感じた。

そして、上司から提案されたのが「数字の帳尻合わせ」だった。

冗談ではない。それが嫌いだったから、自分が指揮することになった暁には、絶対に実効性のある活動にしようとこれまで頑張ってきたのに、事務局のご機嫌取りをする為だけにインチキをしろと上司が言ってきたのだ。自分はそれを許せなかった。

最初に方針を説明したのをこいつは忘れたのか?

ウンウンと頷いていたあの姿は何だったんだ?

などと、憤りながら仕事を続け、現場で別の責任のある職務を任された重圧もあり、自分の心は段々壊れていった。そして、昨年のちょうど今頃に謎の発作に襲われて、長期休職をする羽目になった。

自分がいなくなってから、あの活動はどうなったのだろうか。多分、上手いこと数字を調整されて、事務局が喜ぶ結果に落ち着いたに違いない。この活動は事務局の審査があって、彼らのお眼鏡に叶う結果が出ないと不合格にされる。実際の数字などは関係ない。彼らが気に入って、これで良いという結果を得る為だけの空虚な活動だからだ。

だから、ウチの会社は体質が古いと言われるのだろう。そして、問題が起きている他の大企業も、似たような体質なのだろうな…と、考えてしまった。

誤魔化しに誤魔化しを重ね、自分の体裁だけを取り繕って辿り着く先は、企業の信頼失墜という重い罰だ。

カタカナ語で意味を曖昧にしてカッコつけたり、目の前の課題を刹那的に解決するために、無いものをあると言うその下らなさ。お客様第一!と、口では言いながら、実際には自分の保身の為だけに知恵を絞る馬鹿馬鹿しさ。

大企業病というものは、こうやって醸成され、進行していくのだ。