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Yukibou's Hideout on Hatena

自分用備忘録的な何か。

お前いい加減に働けよ!

雑記

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おいどーすんだ。

ヤバイヨヤバイヨ。なにがヤバイって、いま自分は病気療養中で会社を休職中なのだが、よくよく考えたら会社に行ってないんだから振り込まれないんですよ。

給料が!

ここ2ヶ月休職していたのだが、最初の月はその前月の分の給料が普通に振り込まれていたので全く気が付かなかった。で、先日オンラインバンキングで口座の残高を覗いてみたら、会社からの振り込みが3万円ちょっとになっている事に気がついたのだ。

ウチの会社は20日締めで26日に振り込まれるのだが、今月からは多分ゼロである。

まあ、来月ボーナスは貰えると思うのだが、休職中のためフィードバックも受けていないので、いくら貰えるのかは不明である。とはいえ、いまの状態ではおそらく査定はCかDだと思うので、多分昨年よりもずっと少ないだろう。てか、ウチは冬と夏で査定がセットになっているので、来年の夏も低査定じゃねーか。

でも、今の自分の状態に関しては、どうすることも出来ない。まず普通に朝起きて出社して定時まで働くという当たり前のことが出来ないので、いかんともし難い。主治医にも「今の状態では復帰のための書類を書くことは出来ない」って言われちゃったし

というわけで、とりあえず復帰予定の来年1月中旬まで、いや、まてよ、普通に給料満額貰えるようになるのは3月末なので、すくなくともあと5ヶ月くらいの間、無収入の状態でやっていかなければならない。

こりゃ大変だ。

 

若さゆえ。

よくよく考えてみると、まったくの無収入になったのは15年ぶりだ。

2000年の夏に東京から帰ってきて、半年くらいの間働いていなかった時期があった。あの頃、自分はまだ20代半ばだった。

特に何かアテがあって帰ってきたわけではないし、恐ろしいことに貯金も20万円くらいしか無かった。貯金とか言うのもはばかられる金額だ。

東京に住んでいた頃は、とにかく自分のやりたいように生きていた。食べたいものを食べ、買いたいものを買い、行きたいところへ行っていた。自由を満喫していたと言えば聞こえはいいが、何も考えずに生きていたに過ぎない。

それでも、あの頃の自分は何も困らなかった。特に誰かと付き合っていたわけではないどころかむしろ非モテのキモオタだったし、世の中に対して常に不満を抱えていて、自分が残業代も出ないブラックな企業で働くことを余儀なくされたのも、不景気なこの世の中が悪いくらいにしか考えてなかった。

今で言えば「社畜」と言われたかもしれないが、最初に就職した会社がそんなところだったので、世の中そういうものだと思っていたのだ。ちなみに外食産業である。外食マジでヤバイから気をつけろ。組合すら作らせてもらえないんだあそこは(今は知らない)

自分が働いた分の対価を得ていたのかと言われると、そうではなかった。なにしろ、月の残業が200時間を超え、休日出勤するも手当は出ず、1ヶ月のうち3日しか休みがないことも普通だった。普通じゃないだろどう考えても。

若さゆえの過ちというか、あれはむしろ会社による洗脳に近いものだったのかもしれない。

数ヶ月に1度、本社のある大阪に集められ、体育会系のノリの研修が行われる。シチュエーションはどこをどう取っても理不尽なものなのだが、何故かみんな謎の達成感を味わわされて、何かを得た気分になってお店に帰ってきたのだ。

 

失ってはならないもの。

自分は長男であり一人っ子だったので、東京でずっと働く気は無かった。漠然と「3年くらいしたら帰ってこようかな」と考えていた。

2000年の春に、その半年前から勤めていた赤坂のお店の立ち上げを評価され、年間優秀社員などというものに選ばれて、どこかのホテルで開かれたパーティーで表彰された。そこで、同じく表彰された人たちと話をして、はたと気がついた。このままではマズイと。

前にも言ったが、自分は基本的に目立つのが嫌いである。だが、表彰されていい気になって会社のいうがままにこのまま働き続ければ、後戻り出来ないところまで連れて行かれてしまう。そうなってからでは全てが遅いし、おそらく周囲の人にも迷惑をかけてしまいかねない。

案の定、その数カ月後に、浦安のお店の店長就任の打診が来た。自分はここらが潮時だなと思い、上司に退職したい旨を報告した。

上司は色々な事を言って引き止めようとした。福島県に帰るのであれば、郡山の店舗の店長をやってはどうかなどとも言われた。だが、自宅から郡山の店舗までは車でも電車でも1時間半はかかるのだ。田舎をなめないで欲しい。あと、どう考えてもその時の郡山の店長が可哀想だろ。どこに飛ばす気だったんだ。酷い会社だ。

とにかく、なんとしてでも辞めたかった自分は、かなり譲歩した。たとえば、退職金は殆ど貰えなかったし、有給の消化も諦めた。まあ、「君、辞める時の仁義としてそういうのはどうかと思うよ」とか言われたので、有給の消化なんで絶対不可能だったとは思うが。

あの頃は、まだ20代だったし、いくらでもやり直しが出来ると思っていた。

地元に帰ってきて、ハロワに行って何かの手続きをしたが、自己都合退職だったので失業保険が出るのは3ヶ月後だと言われた。どこかの会場で説明会をやると言われたが、気にもしなかった。どうせその頃には仕事していると考えていたのだ。

幸いにも、今の会社がその頃大規模な募集をしていて、年末には採用面接を通過し、翌年の1月21日から入社する事になった。

今にして思えば、あのタイミングで前職を辞していなければ、おそらく自分は正社員として働いてはいなかっただろう。そういう意味では、運に恵まれていた。

あれから15年が経ち、自分はもう来年で40歳である。

非モテキモオタだった自分も、運良く結婚する機会に恵まれ、昨年は念願の子宝を授かることが出来た。もう、20代の時とは違って、失ってはならないものがたくさん出来た。娘可愛いよ娘。奥さんいつもありがとう。

自分だけの為に生きていたあの頃とは違う。もうやり直すことも出来ない。同じ無収入というシチュエーションでも、15年という時の流れは確実に自分を追い詰めている。

今すぐでなくていい。

いずれ立ち上がらなかれば。

心を奮い立たせ、自分に言い聞かせるのだ。

「お前いい加減に働けよ!」と。