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Yukibou's Hideout on Hatena

自分用備忘録的な何か。

あるベジタリアンの滑稽さ。

雑記
菜食主義という思想。

最近、どこのサイトかまでは言及しないが、ベジタリアンと思しき人物のブログを見た。

その人は、自然に合わせたライフスタイルをおくる事を是とし、その一環として肉食をやめたのだそうだ。なぜ肉食をやめたかというと「肉を食べることによりどれほどの犠牲がうまれるか知ってしまったから」らしい。

肉を生産するためには、当然家畜を育てなければならない。その過程が動物を苦しめている。狭い檻(原文ママ)に閉じ込められ、餌を与えられ、望まぬ妊娠を強要され、最後には肉にされてしまう。「動物は人間の言葉が話せないから抗えない」のだそうだ。

世の中には色々な考え方がある。人の数だけ主張もあると言えるだろう。だが、こういう主張を見るたびに、自分は思うことがある。

なんで動物だけなんだろう、と。

植物だって生きている。人の言葉を話すことが出来ないのは動物も植物も同じである。なのに、動物は可哀想で植物はそうではないという理屈がわからない。

件のブログには「どうぶつは自分が殺されるとわかると泣いてしまうそうです」と書かれているが、植物はとくに目に見える反応を示さないから食べることに抵抗が無いんだろうか?

「どうぶつだけでなくあらゆるいのちを大切にする」と言っておきながら、「地球上には野菜など沢山の食べ物があるのだから飢餓がある事自体がおかしい。飢餓があるのは穀物を家畜の餌として消費しているから。それを人間が食べれば飢餓はなくなる」という理論を展開しているが、野菜はその「あらゆるいのち」に含まれないの?

 

ベジタリアンのそもそも。

そもそも、菜食主義というものは不殺・非暴力の観点から古代インドで生まれた。もちろん宗教である。

菜食主義には完全菜食主義から牛乳や魚はOKというようなものまで様々なレベルに分かれるが、インドにおいては出自であるジャーティと同じように、生まれた家で決まっており、自分の意志では変更できないものだった。

戒律が厳しいものになると、肉食は当然の事ながら、土を耕す際に土中の虫が死ぬから農業禁止。火を使った料理をすると飛んで火に入る夏の虫がいるから禁止。野菜も球根を使ったものは食べてはダメ(木になってたけど落ちた実は食べていい)と、かなり徹底している。

しかし、生きている限り他の生命を奪わずにはいられない。絶対不殺は不可能なのだ。だから、このレベルの菜食主義者の僧は、最後には食を断ち餓死することを選ぶ。それが、不殺を破った代償なのだ。

欧米においては、菜食主義は元々健康志向の観点から取り入れられた。そこに動物愛護的思想が後から入り込んで、今あるベジタリアンの姿が出来上がることになる。そう、欧米においては菜食主義はファッションのようなものなのだ。

ちなみに、「ベジタリアン協会」というものが世の中にはあり、そこではベジタリアンとは何か、そしてベジタリアンの定義や歴史や分類などが記されている。

ベジタリアンとは?日本ベジタリアン協会

この中に、語源として…

ベジタリアン (Vegetarian) という言葉は英国ベジタリアン協会発足の1847年に初めて使われた。ベジタリアンという言葉は「健全な、新鮮な、元気のある」という意味のラテン語 'vegetus' に由来する。

と書かれているが、これは完全な後付け設定で、ベジタリアンの語源は普通に「Vegetable」である。そもそもベジタリアン協会ができる前からVegetarianという言葉自体はあったのだ。大本営がこういう書き方をするのはズルいと思う。

ベジタリアンは、自分で菜食主義のレベルを選択する。乳製品と魚は食べる。乳製品だけ食べる。玉子だけ食べる。無精卵だけ食べる。果物は食べる。肉は食べないが魚は食べる。肉を食べるがちょっとだけ。脊椎動物のみ食べないなどなど…

健康上の理由で食べないのなら大いに理解できる。まあ、肉を食べずに特定の(とくにビタミン関連)栄養素が足りなくなる恐れはあるが、肉を食べ過ぎても明らかに健康に悪いので、それは理屈としてわかる。

だが、倫理的観点から肉を食べないというのは、やはりどうも腑に落ちない。

件のブログがベジタリアンの意見を全て代表しているとは言わないが、「あらゆるいのちを大切に」という御旗を掲げるのであれば、やはり「肉だけ食べない」という選択はおかしい。感情的におかしいと言っているのではなくて、論として成り立たないと言っているのだ。

 

植物だって感じてますよ。

下記のPDFは、2008年に理研が出したプレスリリースで、植物が環境的なストレスを感じた時にどういう反応を見せるかという研究について述べられている。

http://www.riken.jp/~/media/riken/pr/press/2008/20080628_1/20080628_1.pdf

簡単に言ってしまえば、植物も自分に差し迫った危機を感じれば、それ相応の反応を示すという内容だ。植物だって(感情があるかどうかはともかく)感じているのである。生きているのだ。

なのに、「どうぶつの命を救うために野菜を食べましょう。そうすればどうぶつも死なないし人間も生きられるしみんなハッピー」という考え方は、自分に都合よく命の価値を解釈しているようにしか見えない。

別に、菜食主義が悪いとかそういう事を言っているのではない。その人が野菜しか食べないか肉も食べるかなんて、自分にとってはどうでもいい事だ。ただ、話の取っ掛かりがおかしいと言っているだけである。

結局、この手の話題の当事者は感情論しか提示できない。だから、「すべてのいのちを守るために私は肉を食べない。野菜は食べるけどね」とか言うと話がおかしくなってしまうのだ。自分で命を天秤にかけておきながら、それを無視して持論を展開するから胡散臭く思えてしまうのだ。

少なくとも、自分はベジタリアンよりもジロリアンのほうが友達になれそう。肉も魚も食べるし、野菜も大好き。しょうがないよ。だって、にんげんだもの。

ゆきぼう

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ラーメン二郎会津若松店にて撮影。