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Yukibou's Hideout on Hatena

自分用備忘録的な何か。

マガト、鳥栖に来ないってよ。

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※このエントリは、マガトがサガン鳥栖の監督になるという前提で「マガト、鳥栖に来るってよ」というタイトルで公開予定だったものです。没にするのも癪に触るので、備忘録的に公開。

天才肌のMFマガト。

フェリックス・マガトは、1953年、プエルトリコ出身のアメリカ軍人の父と、ドイツ人の母との間に生まれた。

選手キャリアの殆どは、ハンブルガーSV(HSV)で過ごした。西ドイツ代表にも選ばれ、スペイン、メキシコW杯での準優勝に貢献する。1983年には、現在のUEFAチャンピオンズリーグの前身でもあるチャンピオンズカップで決勝に進み、自らのゴールでユヴェントスを下し、HSVに黄金期とチャンピオンズカップでの唯一の優勝をもたらした。

監督時代のイメージが強烈過ぎてあまり現役時代の事は話題にならないが、当時は天才肌のゲームメーカーとして活躍した。ブンデスリーガのYouTube公式アカウントが、マガトのトップ5ゴール動画を作った事がある程だ。

現役時代の最後をFCブレーマーハーフェンでプレイングマネージャーとして過ごすと、古巣HSVのセカンドチームの監督に就任し、本格的に監督業を始める。翌年にはトップチームのアシスタントコーチに、1995シーズンからは監督に昇格する。

その後、1.FCニュルンベルク、ヴェルダー・ブレーメン、アイントラハト・フランクフルトを経て、2001シーズンからVfBシュトゥットガルトの監督に就任する。

ここでマガトはフィリップ・ラームやケビン・クラーニィ、ティモ・ヒルデブラントなど、のちにドイツ代表まで上り詰めることになる若手を鍛え上げた。

そして、後に有名になるマガトの鬼軍曹ぶりは既にこの時には確立されていた。

選手たちが、朝のトレーニングの準備の為にロッカールームに足を踏み入れると、机の上に複数のリュックサックが置かれていた。リュックを開けてみると砂や重石がぎっしりと詰まっていた。嫌な予感がしてきた選手たちの前に現れたマガトはこう言い放った。

「お前たち、それを背負って走るんだ!」

 

モットーは「高いクオリティは苦しみから生まれる」

マガトの練習は厳しい。苛烈と言ってもいい。

プロである以上、生活の全てをサッカーに捧げる事を望む。

通訳を付けることは許されない。ドイツ時代は外国人選手にもドイツ語での会話を強制し、練習が終わった後にはドイツ語の勉強を課した。

試合前日の2部練習など当たり前。インターナショナルマッチデーなどで試合と試合の間隔が空く時などは3部練習を課すこともあった。しかも、午後の練習があるか否かは、午前の練習が終わった後に選手たちに告げられる。事前に遊ぶ予定を立てさせないためだ。

練習メニューも普通では無い。

朝10時からランニング。選手は水が入った沢山のボトルを持ち、森に置く。選手が2グループに分けられ、レギュラーは60分、その他は70分走る。その距離は約14㎞。マガト自身もコーチングスタッフとともに数㎞走ることもある。

選手達がランニングを終え、やっとの思いで出発した森に戻ってくると、殆どのボトルの中身は空になっていた。マガトが捨てていたのだ。それからマガトは選手たちに向けて言い放つ。

「なんだあのパフォーマンスは。お前たちにはこの僅かな水で十分だ。これを分け合って飲め」

多くの選手は一滴の水を飲む気力すら失う。

 

名将から「遅れた監督」へ。

シュツットガルトでの手腕を認められたマガトは、2004-05シーズンよりバイエルン・ミュンヘンの監督に抜擢される。そして、そこでブンデスリーガとDFBポカール(ドイツカップ)のダブルを達成。翌シーズンも2冠を獲得する。だが、翌2006-07シーズンには不振に陥り、シーズン途中で解任の憂き目にあう。

2007-08シーズンにはVfLヴォルフスブルクの監督に就任。ここでマガトはスポーツダイレクターも兼任する「全権監督」になる。そして、ここでの成功が後のマガトの監督としての立ち位置を決定付ける事になる。

過去2年、残留争いに巻き込まれていたチームをマガトは立て直した。フォルクスワーゲンの潤沢な資金を使って、ディエゴ・べナリオ、グラフィッチ、エディン・ジェコ、そして長谷部誠らを補強したヴォルフスブルクは、2008-09シーズンにクラブ史上初のマイスターシャーレを獲得したのだ。

その翌シーズンに、マガトはシャルケ04の監督に就任する。当然ここでもスポーツダイレクターを兼任する全権監督だ。マガトは、前シーズン8位に終わったシャルケを2位にまで引き上げた。だが、翌シーズンはチャンピオンズリーグは好成績だったものの、ブンデスリーガの成績が芳しく無く、マガトはシーズン途中で解任された。

その翌日にはヴォルフスブルクの監督に復帰。降格の危機に瀕していたチームをなんとか残留させるものの、翌シーズンの序盤で思うような成績を残すことが出来ずに、僅か8試合で解任されてしまう。

その後、マガトはドイツ国外へと活躍の場を求める。新天地はサッカーの母国イングランド。降格の危機に瀕していたフルハムFCである。

当時トッテナム・ホットスパー(以下スパーズ)からレンタル移籍でフルハムに所属していたルイス・ホルトビーは、シャルケ時代にマガトの指導を受けていた。そして、スパーズの当時の監督アンドレ・ビラス・ボアスが解任され、ルイス・ファン・ハールが招聘されるという噂が立った時には「ファン・ハールが来ても何の問題もない。なんたって俺はマガトのもとで生き残ったんだぜ?」と息巻いていたが、まさか本人もフルハムでマガトと再会するとは思っていなかったのだろう。

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ちなみに、そのシーズンのフルハムは結局プレミアリーグから降格してしまう。そして、マガトはホルトビーを「闘志を欠いている。私は彼らに対して優しすぎた」と、非難している。

qoly.jp

現在、欧州でのマガトの評判は「少し前の遅れた監督」というようなものになっている。戦術的には目新しい物を持っているわけではなく、チームを精神的に鼓舞して、厳しい規律で縛り上げ、苦しい状況でも決して諦めない強さをもたらすことが出来る一方で、一度歯車が狂いだすとチームは一瞬にして瓦解して、後に残されるのは焦土と化して荒れ果てた、組織とは言えない何かになってしまう。

ドイツ国内は勿論、イングランドでの失敗のせいで、マガトにもう居場所はないのではないかと言われていた。

 

日本人コレクター。

マガトは、ドイツでは一風変わった異名が付いている。それは「日本人コレクター」だ。

マガトはヴォルフスブルク時代に長谷部、大久保嘉人を獲得した。シャルケでは内田篤人を獲得するために、わざわざトゥーロン国際大会まで足を伸ばして直接視察した。

マガトは日本人選手の持つ特質を買っている。本人のインタビューによれば…

「日本人選手は、テクニック、走力、規律の3つが優れている。ブラジル人選手の方が技術が優れているかもしれないが、彼らは規律を好まない。ヨーロッパには走力があっても、技術がない選手もいる。日本人は3つすべてを持っており、それがチーム戦術的にとても大きな意味を持っている」 

と、語っている。

決して主役にはなれないかもしれない。実際、マガトのチームで活躍した選手で印象に残っているのは、やはりグラフィッチであったりジェコであったりラウール・ゴンサレスであったり、マヌエル・ノイアーだったりする。だが、その影で縁の下の力持ち的な役割を担っているのが、マガトの獲得した日本人選手なのだ。

実際、内田が試合で幾度も致命的なミスを犯しても、代表帰りで疲れた状態でもマガトは内田を起用し続けた。そして、内田はその期待に答えていつしか「シャルケを支える選手」とまで言われる程に成長した。

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先日、マガトは来日してサガン鳥栖との契約交渉に臨んだ。日本人を高く評価し、重用してきたマガトが、ついに日本にやってくるかもしれない。

監督としてはもう最先端ではない。

鳥栖にはマガトが望むような選手を次々獲得する程の資金もない。

契約の内容は不明だが、マガトが今までのように全権を託されたとしても、そう簡単に選手の獲得は出来ないはずだ。大口のスポンサーと契約したとはいえ、鳥栖はいわゆるプロビンチャなのだから。

そこでマガトが何を見せてくれるのか。

何と言ってもネームバリューは絶大である。「内田が所属しているチームの監督だった」というだけでもかなりの宣伝効果にはなる。それに何より、鳥栖の選手たちはしごかれるのには慣れている。マガトとの相性は悪く無い。

マガトのトレーニングメニューは古い。とにかく走る。走りが基本だ。ヴォルフスブルク時代には、わざわざ階段と坂を作らせて(費用1億7千万円)、重さ4キロのメディシンボールを持たせ、そこを30分以上登り降りダッシュさせる(そういえば鳥栖も朝日山の階段登りが伝統だった)。ランニングはいつ終わるとも知れない。ダッシュも何本やっても終わりが告げられない。そして、その後激しい紅白戦を行わせる。

マガトは規律が好きだ。規律さえ守っていれば、マガトは面倒見のいい紳士的な人だと内田は言う。私生活も気にしてくれて、「ちゃんと眠れているか?」などとよく声をかけてもらったという。

だが、反対に反旗を翻す選手には容赦しない。かつて第二期マガト政権下のヴォルフスブルクから移籍を試みた長谷部は、それが原因でベンチ入りさえ許されず、ひたすら数十キロ走らされる毎日を強いられた。それどころか、日本人スタッフとの会話もチェックしていたとまことしやかに言われている。

ドイツに限らず、欧州ではマガトは「変人」とさえ言われている。ドイツ国内での彼のニックネームは「クヴェリックス」。「苦痛」という意味の「qualen」とかけているのだ。

かつて浦和を率いたフォルカー・フィンケは言った。

「日本の選手たちは信じられないほど負荷にも耐え、そして積極的によく学ぶ」

マガトは、そんな日本人が好きなのかもしれない。ひょっとしたら、今からどんなシゴキを与えてやろうかとほくそ笑んでいるかもしれない。

一部では、「マガントス」という呼び方もすでにされている。マガトと鳥栖の悪魔合体のような禍々しさが感じられて実に面白いネーミングだ。

マガトという禁断の果実が、日本でどんな花を咲かせるか、いまから楽しみである。

是非、マガトには鳥栖に来て欲しいと思う。

マガントス、お待ちしてます。

 

…という感じで、すっかりマガトが来ると思って書いてたら、本人のFacebookで鳥栖には断りを入れたという報道があり、マガトの就任は無くなった。

www.soccer-king.jp

残念だなぁ…と思っていたら、FC東京の監督を務めていたマッシモ・フィッカデンティが鳥栖の監督に就任することが明らかになった。

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これはこれで楽しみではある。