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自分用備忘録的な何か。

死にたい時にはこれを読もう。

最近、無性に「死にたい」と思う事がある。

特に、今みたいに精神的に不安定で、それが体にもなんらかの影響を及ぼしてる時は、自分がどうしようもない、なんの役にも立たないクズだと思ってしまっているから尚更だ。

だが、これを読んでいるという事は、まだ迷っているという事だ。

自ら死ぬという事は、自分の人生に決着をつけるだけでなく、家族や他人にも多大な影響を及ぼす。はっきり言ってしまうと、ほとんど迷惑しか及ぼさない。それがわかっているからこそ、最後の一歩が踏み切れない。

確かに、自分は、自分だけは楽になる。もう何も思い悩む事はないし、日々の苦しみからも解放される。あるのはおそらく無だ。何もない暗闇。光に包まれた川の向こうや、空の上の世界なんてない。自分が死んだ後に、誰かが悲しむのをそっと見守るなんて事も出来ない。ましてや、1日だけ愛する人の元に戻ってくるなんて事も。それはフィクションの世界だ。でも、何もない世界こそが自分の望んでいるもの。それを手に入れられるならこれ以上に楽なものはない。

代償は残されたものが払う事になる。いや、払わされるのか。

心に大きな傷を負い、何が悪かったのだろうと自問自答しながら生きていく事になるだろう。下手をすれば、それに耐えきれずに同じ道を歩んでしまうかもしれない。だが、たとえそうなったとしても、あの世で再び家族に会う事などできない。結局は無になるからだ。

今の時代、死にたいと思ったらいくらでもその方法を知る事ができる。インターネットで「楽に死にたい」などと検索すれば、山ほどやり方が出てくる。一番上に来るのは人生相談用の電話番号だが、求めていたのはそんなものじゃなかった。当然その下からどんどん読み進めていく。

だが、ほとんどが「死ぬための効果的な方法」ではなく、「死んだらいかに人に迷惑がかかるか」という事しか書かれていない。

わからないでもない。

死んだ後は誰かがその後片付けをしなくてはならない。大抵の人は病院で息をひきとるので、それは葬儀屋がやってくれる。祖父も祖母もそうだった。人生を全う出来れば家族には最低限の負担で済ませられる。

だが、自ら命を絶った場合は別だ。

心の準備が出来ていない家族が発見した(知った)時のインパクトは相当なものだろうし、必ずや何らかの経済的負担が生じる事になる。特に、公共交通機関に影響を与えた時や、山河の捜索なんかが必要になった時はかなりの額が必要になる。賃貸物件の補償金のようなものも取られるらしい。

綺麗に終わるなんて事はほぼ不可能なのだ。

痛みを一瞬のものとし、自分だけは楽になれるかもしれないが、残されたものは一生その事を抱えて生きていく事になる。何が悪かったんだろうか。あの時こうしていれば… そんなトラウマを抱えさせて、悩み苦しむ人生を送らせる事になる。

それでも、本当に追い詰められている場合は実行してしまうだろう。本当にどうしようもないと思っている時は、人の話など聞きはしないし、もうどうなっても構わないと考えているからだ。そうなってしまっては止める術などないかもしれない。

だが、これを読んでいるという事は、まだそこまでには至っていないという事なのだろう。まだ、自分がいなくなる事により、他人に何を残してしまうのか考える力が残っているのだ。

ひょっとしたら、単に苦しまずに楽になれる方法を求めているだけなのかもしれないが、調べてみた限り、残念ながらそんな方法は世の中に存在しなかった。必ずや何らかの苦しみを味わうか、あるいは誰かに背負わせる事になる。

だからこのエントリは生まれた。

結局は自分で幕を引けなかった臆病者が書いた戯言だろうと思われるかもしれない。それはそうだ。だが、死ぬ事は別段勇気ある行いではない。自ら命を絶ちたいという思いは、自分の事しか考えていなかった、近視眼的で短絡的な思考の生み出した結論だ。

世の中には「そうではない。それ以外にもうどうしようもないのだ」と思っている人もいるかもしれない。だが、その前にこうしてこういうものを読んでいる、あるいはその為の方法を調べて、なるべく苦しまないように、あるいは残されたものになるべく負担のかからないようにと考える余地があるのであれば、やはりやめておいたほうがいい。

自分がそうであったように。

希死念慮はたいていの場合杞憂に終わる。そして後から考えるのだ。そうしなくてよかった、と。

ここまで読んでもらえればわかるかもしれないが、これは自分に向けた手紙であり、生存報告でもある。このエントリが存在する限り、自分は自ら命を断つことはない。逆に、このエントリが突如消え去ったその時は、もう何も考えることは出来なくなったと思ってもらっていい。

精神的におかしな状態に陥っていると、どうしても闇の方向へ進みたくなる。だが、そういう時になにか拠り所があると、迷いが生じる。その迷いこそが自分を助ける一条の光なのだ。それは家族であったり恋人であったり、ひょっとしたら遊ぶべきゲームや見るべきアニメだったりするかもしれない。

それでいい。

きっかけは本当に小さなものでいい。それがひいては一つの命を救う事になるのだから。

だから、自らに言い聞かせよう。

死にたい時にはこれを読もう。

そうしよう。

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