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Yukibou's Hideout on Hatena

自分用備忘録的な何か。

あの日。

3月9日

宮城県北部でM7.3の地震があった。

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会津若松は震度2だった。この揺れに自分は全く気が付かなかった。

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何をやっていたのかは覚えていないけど、とにかくTwitterのタイムラインで「地震だ!」とか「揺れた!」とか言っているのをみて初めて気がついたのだ。その後、47ニュースの速報で震源が宮城県沖であることを知った。

そもそも会津地方は内陸にあって、活発な活断層も特に無いため、大きな地震が起きることは稀だった。聞いたことがあるのは祖母が子供の頃にあったという田島地震(1943年 M6.2)くらいだ。

だから、会津では大きな地震はどうせ来ないという思い込みがあった。海があるわけでもないので津波もない。家のすぐ近くに山があるわけでもないので地すべりもない。川もそんなに近くないので恐らく洪水にも遭わない。災害に関してはいまよりもずっと無頓着だった。

 

3月10日

朝方にやっていたUEFAチャンピオンズリーグのシャルケvsバレンシアを見ていた時にも地震があった。

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三陸沖を震源としたM6.6の地震だった。今にして思えばその後の大地震の前震のようなものだったが、まったく気が付かなかった。例によって会津若松はそれほど揺れなかったので大して気にもしていなかった。宮城の人は余震で大変だなぁ…くらいに思っていたのだ。

 

3月11日

勤務中に突然社内放送で「震度4、8…7…6…」というカウントダウンが始まった。その場にいた全員が「?」となっていた。これはいわゆる緊急地震速報を社内に伝えるシステムなのだが、誰もその事を知らずに、「あれ、今日なにか訓練とかあったっけ?」などと言っていた。

その後、ドドド…という音と共に揺れが始まり、すぐに激しい、今までの人生で経験したことのない大きな揺れが来た。全員が驚き、現場責任者は「避難!ひなーん!」と叫んだ。誰もが思い思いの場所から外へと逃げ出していった。避難訓練なんて何の役にも立たなかった。蜘蛛の子を散らすようにバーっと適当に逃げていた。

その日、会津若松は雪がちらついていた。着の身着のまま会社の正門前まで逃げてきたので寒かった。上層部も色々連絡をとって対応を協議しているようでなかなか指示が出てこなかった。自分は妻と母にメールで安否を確認した。

そうして待っているうちにも、地面は揺れていた。立っていてもこれだけの振動が伝わってくる。これはただ事ではないと思い、Yahooのニュースを見る。宮城県では震度7。ウェザーニュースのアプリで揺れの分布を確認したら、信じられないような画像が表示された。日本列島全域にわたって揺れているのだ。

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これは大変なことが起きている…

やっと状況を理解した。

…つもりだった。

とりあえず電話は繋がらない。メールは返事が来たが、その後規制がかかるかもしれない。わりと生きていたのはTwitterだった。友人も殆どTwitterをやっているので、とりあえず安否報告も兼ねて書き込みした。

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その後、ようやく会社側の指示が出て全員帰ることになった。

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※後に訂正された会津若松の震度は5強だった。

熊本のフォロワーさんから「津波10メートルとかありえない報道が出てますけど大丈夫ですか?」とDMが届く。そう、当時の自分も含めて多くの人にとって「10メートルの津波」なんて「ありえない」事だった。どういうことか理解するためにテレビをつける。そこに映しだされたのは津波に押し流される街の様子だった。

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そして、気象庁から地震の規模について詳細な説明が始まった。どうやら自分が思っていたよりも甚大なものだったらしい。

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18時前になって、また信じられない情報が舞い込んでくる。福島第一原発が冷却機能をロストしたというのだ。

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「原発」と言うワードがその日のニュースに登場したのは、下記の資料によれば、NHKの16時52分という事になっている。

東京電力福島第一原発事故と発生直後のテレビ報道

今でこそ、地震→津波の有無→原発の安否という流れが自然なものとなっているが、当時は、ましてや一般市民の自分にとっては、地震があって原発を心配するという展開がまさに「ありえない」事だった。安全神話とかそういうものではなくて、そんなリスクがある事すらまったく知らなかったのだ。

その後、大津波警報の上限が10メートルだったことを知り、映像で流れていた津波はもっと大きなものだった可能性が高いことを知る。

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夜になると県内の避難指示区域がどんどん拡大していく。

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原発も心配だが、他の地域の被害も甚大で、とても寝ていられない。

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だが、本当に「ありえないこと」は、その次の日に起きた。

 

3月12日

会社から「来なくていいよ」という連絡がなかったので、とりあえず出勤する。正直、殆ど眠れてないし、そもそも仕事なんてできる状態なのか?と疑問に思ったが、行くだけ行ってみる。

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あれだけ建屋が揺れたにも関わらず、思いのほか被害は軽微だった。とはいえ、ところどころヒビが入ったり、なんか壁と壁を繋いでるパッキン?みたいなのが剥がれてたりで、すぐには業務を再開できない。というか、原動の為の燃料が調達できないという話になり、その日出勤じゃない人に電話で暫くお休みになると伝える事になった。

そんななか、15時半頃に1号機の水素爆発が起きる。それを自分が知ったのは18時過ぎだった。

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動画で見ただけで、テレビのニュースではなかったため、どの程度ヤバイのかは実際分かってなかったが、あの壁が吹っ飛ぶ様はもの凄いインパクトがあった。妻に備蓄関連の確認をしておいてと電話をする。

固定回線は殆ど繋がらなかったため、名簿の全員には電話は出来なかったが、とりあえず一段落した所で帰ることにした。

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3月13日

とりあえず食料を確保しようと買い物へ。コンビニはスカスカだったが、スーパーはわりと物があった。

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3月14日

睡眠薬が無くなってしまったので医者へ。流通が死んでいるので1週間分しか出せないと言われる。そういやそうか。とりあえず処方箋を薬局に出してテレビを見ていると、原発のニュースをやっている時に「いま新たな情報が入りました!」と、キャスターが緊迫した様子で話し始めた。そう、3号機が爆発したのだ。

あの爆発の映像は本当にインパクトがあった。とりあえず妻と母に「何が起きてもいいように準備しておいて」と連絡をし、自分も薬をもらったらすぐ帰った。風呂に水をためて、食料をどう確保するか。ライフラインが切れた時にどうすればいいかを考えた。その後、ニュースで吹き飛んだのは建屋だけという情報が入る。

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さらに、2号機の冷却機能がロストしたことが報道される。

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どんどんひどくなる状況だが、正直会津地方は100キロ以上離れているのでそこまで影響は及んでいない。むしろ、浜通りはどうなっているんだろうか。それが心配だった。

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結局その日も眠れず。

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3月15日

朝ズバでくだらない議論をしていることに腹を立てる。

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そして2号機で爆発音がして各地の放射線量が一斉に上がる。

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圧力抑制室の圧力が外気と同じ1気圧になっているため、ここが損傷した模様。作業員の退避やオフサイトセンターの移転が始まる。この時期は絶望しか無かった。

30キロ圏内の人に屋内退避の指示が出る。

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東北電力でも計画停電を実施することになったが、被害が大きい地域は除外される。

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食べる気力もない。とにかく原発の情報に神経を傾けていた。

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次々と規制事項が増えていく。

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毎時発表される放射線量も逐一チェック。

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フジに腹を立てる。

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そして結局眠れない。

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3月16日

起きたら火災。

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この年の3月は寒かった。

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とにかく民放の報道が酷すぎて腹しか立たないのでNHKを見る。この頃から民放局が嫌いになった。

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天気も状況も機嫌も悪くなる。

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そして、福島県ではテレビ画面の上部に常に放射線量が表示されるようになる。

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ヘリで水を投下する作戦が始まる。

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池上さんの番組を見る。安心する。

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会津でもスクリーニングが始まる。

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安定の眠れない。

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睡眠薬を飲んでいるにもかかわらず、神経が高ぶっているのか眠れなかった。

 

3月17日

寒い。

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ヘリだけじゃなくて地上からの放水も始まる。

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なんか胃の調子も悪くなってくる。

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3月18日

だんだんストレスが体を蝕み、変調をきたす。今にして思えば、「ご飯が駄目ならお菓子作戦」はこの頃から始まっていたのか。

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40キロ先の原発を克明に映すNHKのカメラにビビる。

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明日の天気に希望を見出す。

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原発への外部電源の受電が可能になる。とりあえず最悪の状況は免れた。

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胃の調子はどんどん悪くなる。

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3月19日

NHKのカメラにまたビビる。

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いろいろなテレビやネットで言われていることに腹が立つ毎日。

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とはいえ、だんだん落ち着いてきたので日常を取り戻す努力をする。

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この試合の前には東日本大震災の犠牲者に対して黙祷が行われた。

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そしてアーセナルの試合も見る。

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とにかくこの震災からの10日弱の間は、他の地域の津波の被害も心配だが、放射能との見えない恐怖と戦っていた。ひょっとしたら会津若松からも避難しなければならない事態になるのではないかと戦々恐々だった。NHKのニュースで、キャスターに新しい原稿が渡されて、ちょっとした沈黙がある度に「何があった!?」とビクつく毎日だった。

そして、この経験は自分と周囲の関係に色々整理を付けた。何も考えずに不安を煽る情報を拡散しようとする人、この機に乗じて得してやろうとする人、そしてこれは何かの陰謀だと吹聴する人とは袂を分かつことが出来た。

今まで生きてきて、一度もやったことのなかった寄付も初めてした。なにか手続きが面倒なのかと思ったけど、クレジットカードであっさり出来た。とりあえず自分が払えるだけのちょっとした金額を寄付した。

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領収書はくれなかった。

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あれから、自分は出来ることをなるべく無理のない範囲内でするようにしている。

復興が進んでいるとは言われているけど、それは何かが元通りになっているんじゃなくて、新しい何かを始める決心がついた人が増えた事も大きい。ウチの近くにも大きな災害公営住宅が出来た。風景は変わっていく。

失われたものはもう二度と元には戻らない。でも、立ち止まる訳にはいかない。

だって、これからも生きていくんだから。

この町で。

今週のお題「好きな街」