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Yukibou's Hideout on Hatena

自分用備忘録的な何か。

命の選択を迫られたとき。

親戚のおじさんが危篤である。

元々軽い脳梗塞を患っていたおじさんだが、先日寝るときになんかフラフラすると言い出して、それでもその日は普通に寝た。次の日に起きてもまだフラフラするというので、いよいよもって医者に連れて行ったら「脳梗塞を起こしてますね」と言われたらしい。

だが、その時点ではそれほど酷い状態ではなかった。むしろ、普通に歩けたし、入院してからも自分でトイレに行ったりして、先生に「軽くてよかったですね」などと言われたのだ。

異常が現れたのは次の日だった。

なにやらお腹が痛いと言い出して、突如右半身に麻痺が現れた。そして、よくよく検査してみたら、胆汁が排出できない状態になっていた。何故かはわからない。とにかくこのままでは胆嚢が破裂してしまいかねないので、管を通して胆汁を排出しようとした。だが、あまりうまく排出されない。

その後、色々な方法で胆汁を抜こうとしたのだがうまく行かずに、本人の症状は悪化の一途を辿った。そして、腸閉塞を併発、さらには肺炎を起こしてしまい、もういつ何があってもおかしくない状態だといわれた。あっという間の出来事だった。

おじさんはいつも元気なイメージしかない。

祖父が半ば駆け落ち状態で家を出てきてしまったので、自分は祖父が死ぬまで祖母方の親戚としか付き合ったことがなかった。どうしてウチは親戚が少ないんだろう。どうしてウチの親戚には、自分と同じ苗字の人がいないんだろうと不思議には思ったが、それほど深くは考えたことがなかった。

その、少ない親戚の一人がおじさんだった。おじさんはよくウチに酒や野菜を持ってきては、出前でカツ丼を食べ、昼寝をして帰っていった。だから、子供の頃はおじさんがくるとカツ丼が食べられると思っていた。あのカツ丼おじさんは誰なんだろうくらいにしか思っていなかった。

大人になってくると、状況が段々見えてきて、おじさんは色々自分も世話してくれた人だということがわかった。子供の頃、訳あって1ヶ月ほどウチの母が自分の世話をできない状態になった時、預かってくれたのがおじさんだった。聞けば、ウチの母も叔母も世話になったという。ただのカツ丼おじさんでは無かったのだ。

そのおじさんがいま、命の危機に瀕している。

自分は家族ではないのであまり詳しくは聞いていないのだが、どうやらもう胆汁を外にだすことは出来ず、もしその手術をすれば脳が持たず、植物状態になってしまうらしい。

本人が痛がっているので、その痛みを和らげるためにモルヒネを使うことを提案された。最近では「麻薬療法」と、随分ストレートな言い方をするらしい。そして、麻薬療法は使えば使うだけ命を縮めることになるのだという。

家族は選択を迫られたのだ。

植物状態になって、機械に繋がれてほとんど意思のない植物状態の人間として生きるか、あるいは麻薬療法で楽に命を燃やし尽くすかという、命の選択を。

自分は祖父と祖母の死を経験している。だが、両者ともいわゆる「ぽっくり」逝ったのでそういう選択を迫られる場面はなかった。

もし、自分が命の選択を迫られたら、決断を下せるだろうか。

自分が病気になった時には、正直植物状態になるのなら違う選択をしてもらって構わないと思っている。だが、家族がそういう状態になった時に、自分自身が決断をくださなければならなくなったその時に、命を終わらせる選択が出来るだろうか。

おじさんの家族は麻薬療法を選んだ。

あんなに大きくて、強くて、優しかったおじさんが、いまではベッドに横たわり、時々目を開け、口をパクパクさせるだけになってしまった。だが、話しかけると確かに反応をみせる。モルヒネが体内に入り、常に眠っているような状態ではあるが、時々目を覚ます時があるのだ。

だが、それも長くは続かない。

もうじき終りが来る。

みんなそのことはわかっている。だが、痛みから開放されてすやすや眠っているおじさんを見ていると、ふと、このまま治って家に帰ってくるのではないかという、安易な希望を抱いてしまう。

おそらく、植物状態を選んだら、これが何年も続くのだろう。そして、時間が経てば経つほど踏ん切りがつかなくなるのだろう。おじさんの家族はそうなることを避け、僅かばかりの残された時間をおじさんと過ごすことを選択した。

自分は選べるか?

愛する妻や母やましてや娘がそうなった時に、そういう決断を下せるか?

どちらが正しいのかはわからない。

簡単に答えを出せるほど、いまの自分は強くない。

ただ、きっとそういう時は突然やってくるのだろう。