Yukibou's Hideout on Hatena

自分用備忘録的な何か。

愛を怖れた男。

小学生の頃、自分の日課は祖父の植木に水をやる事だった。

学校から帰ってくると、家の外にある水道にホースを繋ぎ蛇口をひねる。グルグルに巻かれたホースに命が宿るように水が通い、先端のノズルからシャワーが出る。日光に水しぶきを晒すと七色の虹が出てとても綺麗だった。水をやるのは好きだった。だが、別に植木が好きなわけではなかった。水を撒くのが楽しかったからやっていただけなのだ。

これまでペットを飼ったこともあった。

一番古いペットは鶏だ。とはいえ、正直あれは卵を産んでもらうために飼っていただけで、厳密に言えばペットとはいえないだろう。だが、学校から帰ってきて、檻の鍵を開けてやり、散歩じみた感じで一緒に遊んだりもした。とはいえ、別に鶏に愛情を感じていたわけではなかった。鶏がコケコケいいながら歩いて行くのを追いかけるのが楽しかっただけだ。

本格的なペットは、東京での仕事を辞めて実家に戻ってきた時に飼ったハムスターだ。

元々ペットを飼う予定はなかった。キッカケは友達が旅行にいく時に、彼が飼っていたハムスターを預かったことだった。1週間くらい預かったら、母の情がすっかり移ってしまって、その次の日くらいにすぐペットショップに向かっていた。

そうして買ってきたのが、ロボロフスキーハムスターという、とても可愛いが、基本的に人には懐かないハムスターだった。名前はノリで「ちっぷ」と名付けた。

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さすがに鶏よりは感情移入して飼ってはいたが、それでも自分の中では「母が欲しいって言ったんだし」みたいな感じで、「仕方なく世話していた」という雰囲気だった。

ケージの掃除はするし、餌やおがくずも買っては来るけど、どうも積極的に可愛がるというところまでは行かなかった。ちっぷが死んだ時も、悲しかったけれども「ハムスターは寿命が短いから仕方ないよ」という思いのほうが強く、「家族になった」というところまではいかなかった。

というような感じのペット履歴だったので、なんとなく自分は「他の生き物(人間含む)を愛せない人間なのではないか」という疑いを持つようになった。自分自身ですら好きではなかったのだ。どうして他人を愛することができようか。

そんな、ちょっとこじらせた感じの生き方をしていた自分を、妻は変えてくれた。

それまで、「好き」という感情はわかっていても「愛する」という感情は全くわからなかった。だが、妻と付き合い始めて、初めて「愛」がわかった気がした。この人となら一生添い遂げられるという強い確信を持ち、そして結婚した。

だが、それでも恐れている事があった。そう、子供である。

それまでの人生で、子供を相手にうまい対処が出来た試しがなかった。正直、子供を相手にするのは照れくさかった。可愛いと感じる前に「照れくさい。面倒くさい」という思いのほうが先に出て、突き放した態度しか取れなかった。

もし、自分に子供が生まれたとして、上手く愛を注げなかったらどうしよう。育児放棄のような状態になってしまって、妻にだけ負担をかける羽目になったらどうしよう。子供がキッカケになって、愛することを覚えたはずの自分がまた愛を忘れてしまったらどうしよう… そんなことばかり考えていた。

要は、まだ自分のことしか考えられない小物だったのだ。

だから、妻が子供が欲しいと言ってきた時には、不安のほうが大きかった。自分たちを取り巻く環境の変化で、子作りがどんどん後回しになっていっている時ですら、高齢出産になるリスクなどよりも、子供が生まれた事で家族関係が崩壊したらどうしようなどと、そんな事ばかり考えていた。

だから、実際に子供が出来たと妻の口から聞いた時も、不安というか恐怖の方が自分の中では大きかった。うまくいくはずがない。自分のような人間に子育てが出来るはずがない…という思いに駆られていた。

2014年の末、雪の降りしきる夜に娘は産まれた。この世のものとは思えないほどかわいかった。不安と恐怖に駆られていた自分は、そんな情けないことを考えていた事をすっかり忘れ、これまでにないほどの幸せに包まれていた。

これが親になるということか。

この、自分の腕の中にいる触れたら壊れてしまいそうな存在は、自分たちの愛がなければ生きていけないのだ。こんな小さな存在に自分の愛が脅かされると思っていた自分が本当に嫌になった。どんだけ自分はダメな人間なんだと。

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あれから1年半が経ち、娘は順調すぎるくらいに成長している。

娘が生まれて以降、家族の絆はさらに随分と深まったし、ギクシャクしていた母との関係もかなり改善された。愛を脅かす存在として恐れていた娘が、すべてを変えてくれたのだ。

よく、親は子供に見返りを求めてはならないという言葉を聞く。だが、自分は思うのだ。娘は生まれてきた瞬間に一生分の見返りを自分にくれたのだと。だから、自分に出来ることは娘を愛し、育てていく事だけなのだ。

たとえ「パパきらーい!」と言われてしまったとしても、決して怒りはすまい。

娘がそこにいる。ただそれだけで自分は幸せなのだから。

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